バミューダ・トライアングル最大の謎「フライト19消失事件」

伝説

バミューダ・トライアングルで起きた中でも最大の謎とされている事件が、フライト19消失事件である。

フライト19

フライト19のアベンジャー雷撃機。

1945年12月5日の午後2時、フロリダにあるアメリカ海軍のフォート・ローダーデール基地を、5機の飛行機が日課の訓練飛行のために飛び立った。

通称は「フライト19」。数字の部分はナインティーンと読む。日本では第19編隊とも呼ばれる。

天気は快晴である。風も海も穏やかで、絶好の飛行日和だった。ベテラン・パイロットのチャールズ・テイラー中尉を隊長とする編隊は、順調であれば午後4時には基地に帰還する予定だった。

ところが午後3時15分、事態は急変する。フォート・ローダーデール基地の管制塔に、テイラー中尉から異変を知らせる無線が届いた。

テイラー中尉「管制塔へ。緊急事態だ。コースを外れたらしい。陸地が見えない……繰り返す……陸地が見えない」

管制塔「現在位置は?」

テイラー中尉「位置もはっきりしない。どこにいるのか判らないんだ……迷ったらしい……」

管制塔「真西を目指せ」

テイラー中尉「どっちが西かわからないんだ。何もかもおかしい……奇妙だ……方角がさっぱりわからない……海の様子もいつもと違う……」

この通信が奇妙なのは、「どっちが西かわからない」とテイラー中尉が応えている点である。というのも、この日は快晴であり、彼らはその時、西に傾きつつあった太陽を目指して飛べば簡単に基地へ帰還できたはずだからである。

しかしテイラー中尉は西がわからないと言っている。ということは太陽が見えていなかったということだ。彼らは一体、どこを飛行していたのだろうか?

テイラー中尉との通信は、その後、時間をおきながら何度か続いたものの、通信状態は次第に悪くなる一方だった。また話している内容も明らかに混乱していて、管制塔は彼らがバミューダ海域のどこを飛行しているのか特定できずにいた。

そうして時間ばかりが過ぎていく中、午後4時過ぎ、ついに最後のメッセージが届く。

「我々のいる場所はどうやら……」
「白い水に突入……」

この謎めいたメッセージを残し、テイラー中尉率いる編隊は忽然と姿を消してしまったのである。ところが奇妙なのは、これだけではなかった。その後、フォート・ローダーデール基地からの救助依頼を受け、バミューダ海域へ救助へ向かったマーチン・マリナー飛行艇も、同海域に到着するや否や、忽然と姿を消してしまったのである。

結局、アメリカ海軍機6機と、その乗員27名はいまだに見つかっていない。彼らは一体どこに消えてしまったのだろうか?(以下、謎解きに続く)


Photo by「Naval Air Station Fort Lauderdale Museum」(http://www.nasflmuseum.com/)

謎解き

この事件は、元アリゾナ州立大学の司書で飛行教官のライセンスを持つローレンス・クシュが海軍の400ページ以上にも及ぶ調査報告書に何十度も目を通し、詳しく調査した。その結果、【伝説】でいわれていることとは違う事実がいくつもあることを発見している。

新任隊長に率いられたフライト19

まず、この事件は「快晴」で「風や海も穏やか」だったとされるが、実際にそのとおりだったのは離陸時だけで、その後に天気は急速に悪化していた。

チャールズ・キャロル・テイラー中尉

チャールズ・キャロル・テイラー中尉

また、テイラー中尉はベテラン・パイロットではあったものの、フォート・ローダーデール基地に配属になったのは1945年11月21日。事件が起きるわずか2週間前だった。

また5機の飛行機に乗っていたのは、テイラー中尉ともう一人を除くと残りは全員が訓練生で、事件の日は彼らの訓練飛行だった。

つまりフライト19は地理的に疎い海域を飛ぶ隊長に率いられた、その多くが訓練生という構成の編隊だったわけである。

彼らが飛行訓練のために基地を飛び立ったのは1945年12月5日の午後2時10分。訓練では、まず東へ90キロ飛行。

途中の浅瀬で爆撃訓練を行った後、さらに110キロ進み、バハマ諸島付近で針路を北に変え、120キロ北上。そこで最後に針路を西南西に変えて190キロ飛行し、基地へ帰還するという予定だった。

ところが午後3時40分、フライト19とは別に、基地の上空を飛行していたロパート・F ・コックス中尉は、針路を見失ったらしい飛行機の無線を傍受した。

「現在位置がわからない。さっきの旋回のあと迷ったに違いないな」

これはテイラー中尉率いるフライト19の無線だった。コックス中尉は無線で呼びかけると、次のような応答があった。

「コンパスが二つとも狂ってしまった。フロリダのフォート・ローダーデール基地を見つけたいんだ。いま陸の上だが、きれぎれの陸だ。キーズ上空に違いないと思うんだが、どのくらい南に下ったのかわからないし、フォート・ローダーデールへどう行けばいいのかもわからない」

ここでいうキーズとは、フロリダ半島の南端に連なる諸島のことだ。このときテイラー中尉は、本来の飛行針路である東ではなく、南に下ってしまったと思っていた。ところが後に推定された彼らの位置は、ほぼ予定どおりのバハマ諸島上空だったとされている。

つまり実際は間違った場所に飛行してしまったわけではなかったのだが、地理に疎かったテイラー中尉は、途中で旋回した後、下に見える「きれぎれの陸」をフロリダ半島の南にある小島群と誤認してしまったようなのである。

おそらくコンパスも狂ってはいなかったのかもしれない。しかし自分の判断と矛盾したため、コンパスの方がおかしいと思い込んでしまったとも考えられる。

いずれにせよ、彼らは予定のコースを大きく外れてしまったと考えたため、基地へ戻るために北や東といった方角へ飛んでいくことになる。ところが、これは実際にいた位置からすれば逆である。バハマ諸島から基地へ帰還するためには、西に向かって飛ぶ必要があったからだ。


Photo by「Naval Air Station Fort Lauderdale Museum」(http://www.nasflmuseum.com/)

迷走するフライト19

実は、この本来の飛行位置に気づいていたらしい乗員はいたことがわかっている。午後4時31分の通信では、次の連絡が入っている。

「わが隊の一機が、270度(西)旋回すれば、本土に接近できると主張しているが、どうか」

午後5時頃の乗員同士のやり取りは次のとおり。

「西へ飛べばいいんだ。そうすりゃ基地へ帰れるんだよ」
「そうとも、西へ行きさえすれば帰れるんだ!」

しかし不幸にもフライト19と基地との通信状態は悪くなる一方で、基地側が西へ飛行するべきだと考えていることは、なかなか伝わらなかった。これはテイラー中尉が無線の周波数を非常用チャンネルに切り替えなかったからである。

彼は、もともとフライト19内での部下との無線連絡用に使っていた周波数を変更してしまった場合、新しい周波数で部下の機と連絡が取れなくなったら困ると判断していた。ところがその結果、部下たちとは連絡を取り続けられたものの、地上の基地とは無線連絡を維持できなくなってしまったのだ。

フライト19の乗員の意見も、すぐには採用されなかった。午後4時45分にはテイラー中尉から、次の連絡が入る。

「我々は、これより方位30(北北東)にて45分間飛行し、のち北へ向かう」

そうかと思えば5時7分には次のようなやり取りが聞かれている。

「テイラーから編隊の全機へ 方位90(東)ヘコースを変更、10分間飛ぶ」

どうやらテイラー中尉は自分たちの現在位置として、フロリダ半島の東側にいるのか、西側のメキシコ湾にいるか、判断に迷っていたようだ。

それぞれの位置は下の図をご覧いただければわかるとおり、フロリダ半島を挟んで正反対である。どちらにいると考えるかによって飛ぶべき方角も逆になる。もし東側なら基地に戻るためには西に飛ばなくてはならない。西側なら東である。

当時の飛行状況

図のAは4時頃にテイラー中尉が推測していた位置。Bはその当時実際に飛行していたと推定される位置。
Cは5時頃にテイラー中尉が推測していたと思われる位置。

しかし、これは推定の現在位置が正しければ戻れるが、間違っていれば正反対の方向へ飛んでいくことになり、基地には戻れくなるばかりか、延々と海の上を飛び続けるという危険もはらんでいた。そのため判断に迷って、西へ東へ飛び回り、燃料を無駄に消費してしまうという結果に陥ったようである。

フライト19の燃料が切れるのは、午後7時30分~8時頃と推測されたが、最後の無線が聞き取れたのは午後7時4分。

最後の無線の内容は「FT3からFT28へ」という編隊内での呼びかけだった。FT3は編隊の一機のコールサインで、FT28はテイラー機のコールサイン。

おそらく、その時間から午後8時までの間で海へ不時着したと考えられている。午後5時22分には、テイラー中尉からの次の無線が聞かれているからだ。

「みんなのうちで、誰かの燃科が残り10ガロンになったら、いっしょに海上に着水しよう。みんな、わかったな?」

ところが当時の海は不運にも荒れ模様だった。フォート・ローダーデール基地で上級フライト・インストラクターを務めていたデビッド・ホワイト中尉によれば、高速で荒れ模様の海にぶつかることは「レンガ造りの壁にあたる」ことと同じだという。「私は誰も生き残ったとは思いません」とホワイト中尉は述べている。

バナナ・リバー海軍基地のジェラルド・バマーリン中尉の証言によれば、午後8時15分に遭難海域に救助のため到着したときには、にわか雨がしばしば降り、西あるいは南西の風10~15メートル、海上は激しい時化模様で、白波が海上一面に見えていたという。

空飛ぶマッチ箱

ちなみにその後、救助に向かったマーチン・マリナー飛行艇が消息を絶ったのは事実である。ただし【伝説】では伏せられている事実が他にある。

マーチン・マリナー飛行艇は、燃料漏れを起こして問題になったことが過去に何度かあり、うっかりタバコを吸ったり、機械類がスパークしたりすると爆発の危険性があったのだ。乗員たちの間では「空飛ぶマッチ箱」「空飛ぶガスタンク」などとも呼ばれていたという。

この不穏なニックネームは現実に火種となった。フライト19の救助に向かった日の午後7時50分に、同機が向かっていたまさにその場所で、近くを航行していたアメリカ船ゲインズ・ミルズ号が空中で爆発する飛行機を目撃したのだ。

船長と船員の報告によれば、一機の飛行機が空中で火を発すると、たちまち水面に落下して爆発。油膜と残骸が散乱したという。しかし荒れ模様の海では残骸等はすぐに飲み込まれてしまったと考えられる。

さらなる救助隊が到着した頃には、すでに残骸等は発見できなかった。これはフライト19も同じだったと考えられる。

不幸な事故の姿

さてこのように、フライト19消失事件の【伝説】と事実は大きく異なっている。テイラー中尉は地理に疎く、乗員の多くは訓練生だった。天気は悪天候になっていた。奇妙な通信とされるものはなかった。テイラー中尉は西がどちらかはわかっていた。

彼らが迷っていたのは正しい方角ではなく、自分たちの現在位置だったのだ。

謎とされていたものを丁寧に取り除いてみると、そこに見えてくるのは魔のバミューダ海域としての恐ろしい姿ではなく、いくつもの要因によって起きた不幸な事故の姿である。

【参考資料】

  • Charles Berlitz『The Bermuda Triangle』(Grafton; New Edition, 1977)
  • チャールズ・バーリッツ『謎のバミューダ海域 完全版』(徳間書店、1997年)
  • ローレンス・D・クシュ『魔の三角海域―その伝説の謎を解く』(角川書店、1975年)
  • マーチン・エボン 編『バミューダ海域はブラック・ホールか』(二見書房、1975年)
  • David Group『The Evidence for The Bermuda Triangle』(The Aquarian Press, 1984)
  • 「新都市伝説~超常現象を解明せよ!~ バミューダ・トライアングル」(ナショナル・ジオグラフィック・チャンネル)
  • 「Naval Air Station Fort Lauderdale Museum」(http://www.nasflmuseum.com/)
  • Naval History and Heritage Command「The Bermuda Triangle」(http://www.history.navy.mil/faqs/faq8-1.htm)
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