20年周期でアメリカ大統領を襲う「テカムセの呪い」

伝説

アメリカでは、歴代の大統領たちから恐れられている「テカムセの呪い」と呼ばれるものがある。これは1840年以降、20年おきに選出される大統領が在任中に不慮の死を遂げるというものだ。

大統領選は4年ごとのため、20年おきに末尾が0になる。そこから「ゼロの呪い」とも呼ばれる。

呪いの犠牲者となった大統領はこれまで7人。

1840年のウィリアム・ハリソン →就任後わずか1ヵ月で急死
1860年のエイブラハム・リンカーン →暗殺
1880年のジェイムズ・ガーフイールド →暗殺
1900年のウィリアム・マッキンリー →暗殺
1920年のウォーレン・ハーディング →心臓発作で急死
1940年のフランクリン・ルーズベルト →脳出血で急死
1960年のジョン・F・ケネディ →暗殺

なぜ、これほど不慮の死が続いてしまうのだろうか。その原因は、今から200年ほど前にアメリカで起きた、先住民たちとの戦いにあったといわれている。

18世紀末から19世紀初めにかけて、アメリカ中西部の先住民たちは、白人の開拓者たちから土地を奪われていた。そうした中、土地の奪還と死守、そして諸部族の一致団結を説いて立ち上がったのが、テカムセという若き先住民だった。

テカムセ

テカムセ

テカムセは、持ち前のカリスマ性と統率力で先住民たちの中心的人物となり、史上初めて諸部族の連合を組織した天才である。

それに対し、彼らと土地などを巡って争う白人開拓者たちを率い、立ちはだかったのが、当時、政府軍の若き将校だったウィリアム・ハリソンである。

宿敵同士となった彼らは数度の戦いを経て、1813年10月5日、テムズ川の戦いで激突する。テカムセはイギリス軍と同盟を結ぶなどして善戦したものの、戦闘中に被弾してついに戦死。この戦いに勝利したのはハリソンだった。

敗北した諸部族連合軍は、テカムセという中心的人物を失ったことによって急速に崩壊。先住民たちは強制移住を余儀なくされ、文化的にも大打撃を被った。

一方のハリソンはその功績から英雄と称えられ、のちにアメリカの第9代大統領に選出された。

ウィリアム・ハリソン

ウィリアム・ハリソン

ところがそんな彼を待ち受けていたのは悲劇だった。大統領就任からわずか1ヶ月後に急死してしまうのである。

急死に追いやったのは他でもない、テカムセたち先住民の呪いだ。もともとテカムセには「預言者」と呼ばれ、共に戦っていたテンスクワタワという弟がおり、彼がアメリカ大統領を20年周期で襲う死の呪いをかけたといわれている。

これこそが、今日、「テカムセの呪い」として恐れられているものである。この呪いは非常に強力で、ハリソンから7人連続で殺している。呪いを逃れたかに思える1980年のロナルド・レーガン、2000年のジョージ・W・ブッシュも、実はそれぞれ1981年と2005年に暗殺未遂に遭っている。

呪いは決して消えたわけではない。次の周期は2020年である。この年に選ばれる大統領の運命は、果たしてどうなるのだろうか。(以下、謎解きに続く)

謎解き

アメリカ大統領にまつわる不気味なジンクスの中で、最も有名なものが、この「テカムセの呪い」である。実際に調べてみるとわかるが、7人の大統領が在任中に亡くなっているというのは紛れもない事実である。

しかし、さらに深く掘り下げてみると、普通に「呪い」で済ましてしまっていいのか、疑問点も出てきた。

ハリソンは呪いで死んだのか?

最初の呪いの犠牲者とされるのはウィリアム・ハリソンである。彼はテカムセたち先住民と因縁が深く、話を省略して紹介されると、さも呪いで死んだのも当然と思えてしまう。

ところが、もともとテカムセがハリソンとの戦いによって死んだのは1813年。対するハリソンが死んだのは1841年のことである。その間、実に28年。呪いだとしたら、なぜこんなにも時間がかかったのだろうか。それが発動した頃にはもう完全に手遅れだった。

そもそもハリソンの死因はハッキリしている。彼は大統領就任演説の際、強風吹きすさぶ厳しい寒さの中、帽子も手袋もコートも身につけずに、歴代最長となる1時間45分にも及ぶ大演説を行ってしまったのだ。

ハリソンは当時68歳である。これは当時の大統領最年長就任記録で、歴代でも、この記事を書いている2016年11月現在、ロナルド・レーガンの69歳に次ぐ2位である。(70歳の次期大統領ドナルド・トランプを含めても歴代3位)

この高齢であることを省みないハリソンの無茶は肺炎を引き起こす結果を招いた。そして1ヵ月の闘病の末、亡くなってしまったのである。

彼は1840年代当時としては、決して早死にとはいえない68歳まで生きていた。さらにいえば、妻アンはもっと長生きの88歳まで天寿を全うし、孫のベンジャミン・ハリソンは第23代のアメリカ大統領にもなっている。(いかにも呪いのターゲットになりそうだが在任中に亡くならず、早死にもしなかった)

もやはこうなると、ハリソンと呪いを結びつけるのは無理な気がしてならない。

自らの不手際を預言できなかった預言者

呪いといえば、それをかけた方も存在する。よくいわれるのは、「預言者」と呼ばれたテカムセの弟、テンスクワタワである。

テンスクワタワ

テンスクワタワ

彼は、1811年11月に起きた「ティペカヌーの戦い」で、攻めてくるハリソン軍を迎え撃った。このとき、テカムセは諸部族への支援要請の旅に出て留守中だったため、テンスクワタワが中心になって戦うことになる。

ところが、このときのハリソン軍の攻撃は、テカムセの留守を狙った奇襲だった。テンスクワタワはこの奇襲を預言できず、テカムセが10年かけて築き上げた拠点の町を焼き払われるという失態を演じた。

これに怒ったのがテカムセである。彼は支援要請の旅から戻るとテンスクワタワの不手際を叱りつけ、彼を追放処分にしたのだった。

こうしてテカムセはテンスクワタワと袂を分かった。テンスクワタワが呪いをかけたという記録はない。そもそも彼、もしくは先住民たちにそんな力があったのなら、彼らの戦いはもっとうまくいっていたはずではないだろうか。

その他の大統領たち

このように、呪いのキッカケをつくったとされる双方ともに、呪いとは結びつきにくい。これは他の大統領たちでも同じである。

たとえば第12代アメリカ大統領のザカリー・テイラーは、在任中に亡くなっている。しかし彼が大統領に選出されたのは1848年で、テカムセの呪いには当てはまらなかった。

逆に前出の第23代アメリカ大統領のベンジャミン・ハリソンは、ウィリアム・ハリソンの孫だったにもかかわらず在任中に亡くならなかった。

第32代アメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトは、呪いの6番目の犠牲者とされるが、彼が亡くなったのは史上最多となる4選目、大統領職を12年も務めていたときだった。

一方、暗殺未遂に遭った大統領は、レーガン、ブッシュの他にも第33代アメリカ大統領のハリー・トルーマンがいる。彼は1945年と48年に選ばれたテカムセの呪いと無関係の大統領だったにもかかわらず、1950年11月1日に、滞在先でテロリスト2人組の襲撃を受けている。

ちなみに歴代大統領の評価という点で呪いの効果をみると、呪いの犠牲者とされる7人のうち、ほとんどの調査では歴代ベスト5にリンカーンとルーズルトの2人が入ってしまっている。呪いを受けたはずなのに高評価が出てしまうのでは、意味がないのではないだろうか。

触れられない副大統領たちの死

最後に、テカムセの呪いでは触れられない副大統領たちの死について触れておきたい。実は、大統領だけでなく、副大統領も在任中にこれまで7人が亡くなっている。

「リンカーンとケネディの奇妙な一致」で副大統領の話が出てきたように、テカムセの呪いの話でも副大統領が7人も亡くなっているのであれば、当然、触れられてもいいはずだ。

しかしそうなっていないのは、亡くなった副大統領たちの選挙が行われた年はバラバラで、1840年以前にも亡くなった者がいるなど、とてもテカムセの呪いとは結びつけられないからである。

以下は在任中に亡くなった副大統領の一覧。

1804年の第4代副大統領のジョージ・クリントン →1812年に死去
1812年の第5代副大統領のエルブリッジ・ゲリー →1814年に死去
1852年の第13代副大統領のウィリアム・キング →1853年に死去
1872年の第18代副大統領のヘンリー・ウィルソン →1875年に死去
1884年の第21代副大統領のトーマス・ヘンドリックス →1885年に死去
1896年の第24代副大統領のギャレット・ホーバート →1899年に死去
1908年の第27代副大統領のジェイムズ・シャーマン →1912年に死去

この一覧からは何も法則性が見つけられない。大統領が20年おきに亡くなったというのも、結局、たまたまだったのではないだろうか。

とはいえ人々が、こういった死を呪いだと考えることによって、テカムセたち先住民の悲劇が思い起こされ、知られることもある。そういう点では、「呪い」にも意味があるのかもしれない。

【参考資料】

  • 泉保也『世界不思議大全』(学習研究社、2004年)
  • 「世界の何だコレ!?ミステリー」(フジテレビ、2016年9月28日放送)
  • チャールズ・L・ライアルズほか『英和アメリカ史学習基本用語辞典』(アルク、2001年)
  • ロデリック・ナッシュほか『人物アメリカ史・上』(講談社、2007年)
  • 高橋通浩『歴代アメリカ大統領総覧』(中央公論新社、2002年)
  • 明石和康『アメリカ大統領選物語─ホワイトハウス彩った42人』(時事通信社、2014年)
  • ジョン・ロウパー『ビジュアル版 アメリカ大統領の歴史 大百科』(東洋書林、2012年)
  • Architect of the Capitol「George Clinton」(https://www.aoc.gov/art/national-statuary-hall-collection/george-clinton)
  • Biographical Information「GERRY, Elbridge」
    (http://bioguide.congress.gov/scripts/biodisplay.pl?index=G000139)
  • Biographical Information「KING, William Rufus de Vane」
    (http://bioguide.congress.gov/scripts/biodisplay.pl?index=K000217)
  • Biographical Information「WILSON, Henry」
    (http://bioguide.congress.gov/scripts/biodisplay.pl?index=W000585)
  • Biographical Information「HENDRICKS, Thomas Andrews」
    (http://bioguide.congress.gov/scripts/biodisplay.pl?index=H000493)
  • Biographical Information「HOBART, Garret Augustus」
    (http://bioguide.congress.gov/scripts/biodisplay.pl?index=H000660)
  • Biographical Information「SHERMAN, James Schoolcraft」
    (http://bioguide.congress.gov/scripts/biodisplay.pl?index=S000345)
  • Scott P. Johnson『Trials of the Century』(ABC-CLIO, 2010)
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