みんなの想いが奇跡を起こす?「百匹目の猿現象」の真相

伝説

宮崎県串間市の石波海岸から200メートルほど離れたところに、「 幸島 ( こうじま ) 」と呼ばれる小さな島がある。

この島では1948年に京都大学の研究グループがニホンザルの観測を開始。52年にはサツマイモの餌付けに成功。翌53年には「イモ」と名付けられた当時1歳半のメス猿が、それまでどの猿も行わなかった、砂のついたサツマイモを川の水で洗う、という画期的な行動を発明した。

サツマイモを洗っているところ

サツマイモを洗っているところ
(【出典】KAWAI, M 『Newly acquired precultual behaviour of the natural troop of Japanese monkeys on Koshima Islet』 Primates 6: 5-Photo 2, 1965)

この行動はやがて少しずつ群れの中へ伝わっていく。するとある日、幸島でサツマイモを洗うニホンザルが臨界値(例として「100匹」)を超えたとき、不思議な出来事が突然起こった。

それまで数年かけて少しずつ広まっていった芋洗い行動が、この臨界値を超えた途端、まるでテレパシーでも使ったかのように幸島の群れ全体に一瞬で広まったのである。

しかも驚くべきことに、この行動は幸島から200キロ以上も離れた大分県の高崎山の猿の群れや、そのほか日本全国にあった猿の群れにも広まっていた。(空間的にも物理的にも大きな隔たりがあり、交流など全くなかったのにもかかわらず)

まさに超常現象である。この奇跡を用いれば、ある集団の中に爆発的に思想を広めることも可能となり、画期的な意識改革が期待できると考えられている。(以下、謎解きに続く)

謎解き

百匹目の猿現象は、もともとイギリスの生物学者ライアル・ワトソンが、その著書『Lifetide』(邦訳『生命潮流』)の中で最初に紹介した逸話である。

この話はやがて、神秘主義者ケン・キース・ジュニアの世界的ベストセラー『Hundredth Monkey』(邦訳『百番目のサル』)でも取り上げられ、一躍有名になった。

日本では経営コンサルタントの船井幸雄の著書『百匹目の猿―「思い」が世界を変える』によっても広められ、今や猿だけでなく人間にも起きる超常現象だと考えられている。

ところが実はこの話、最初に紹介したワトソンがあげている原典にあたってみると、事実は大きく異なることがわかった。

ワトソンの話

ワトソンは『生命潮流』の中で、日本の霊長類研究の第一人者である河合雅雄博士の論文を参考文献に挙げて次のように書いている。いわく、イモという名の「サルの天才」「サルの世界でいえば車輪の発明にも匹敵する文化革命」だという砂のついたサツマイモを水流で洗う行動を発明したという。

しかし、この発明は1958年までに若い猿の間には広まったものの、5歳以上の成熟した猿では一部のものしかその行動を身につけていなかったという。さらに百匹目の猿現象に関する話を次のように紹介している。

異常が起こったのはそのときである。いかんせんこの時点までの研究の詳細は明白なのだが、残りの話は個人的な逸話や霊長類研究者の間に伝わる伝承の断片から推すしかない。というのも、研究者たちでさえおおむね本当に何が起こったのかは定かではないのだ。

真偽のほどを決しかねた人びとも物笑いになるのを恐れて事実の発表を控えている。したがって私としてはやむなく、詳細を即興で創作することにしたわけだが、わかる範囲で言えば次のようなことが起こったらしい。

その年の秋までには幸島のサルのうち数は不明だが何匹か、あるいは何十匹かが海でサツマイモを洗うようになっていた。なぜ海で洗うようになったのかと言うと、イモがさらに発見を重ねて、塩水で洗うと食物がきれいになるばかりかおもしろい新しい味がすることを知ったからである。

話を進める都合上便宜的に、サツマイモを洗うようになっていたサルの数は九九匹だったとし、時は火曜日の午前一一時であったとしよう。いつものように仲間にもう一匹の改宗者が加わった。

だが一00匹目のサルの新たな参入により、数が明らかに何らかの閾値を超え、一種の臨界質量を通過したらしい。というのも、その日の夕方になるとコロニーのほぼ全員が同じことをするようになっていたのだ。

そればかりかこの習性は自然障壁さえも飛び越して、実験室にあった密閉容器の中のグリセリン結晶のように、他の島じまのコロニーや本州の高崎山にいた群の間にも自然発生するようになった。(『生命潮流』P.209より引用)

もし、ここで主張されているようなことが実際に起こったのなら驚くべきことである。しかし以下で示すように事実は大きく異なっていた。

個人的な逸話や研究者に伝わる伝承はあったのか?

まず逸話や伝承については、ハワイ大学の哲学者ロン・アームンドスン教授と、ドイツの物理学生マークス・ポッセルが、当事者である河合雅雄博士本人に次の点を実際に質問している。

研究者の間に百匹目の猿現象の元になるような逸話や伝承などあったのか?

そもそも(ワトソンに情報提供できる)知り合いなど、研究者の中にいたのか?

この問いに対する河合博士の答えは、きっぱり「No」(ノー)だった。つまり冒頭の話自体がワトソンの作り話だった。

1958年に百匹目の猿現象は起きたのか?

ワトソンによれば、1958年の秋以降に新たに“改宗者”が加わったことにより、「数が明らかに何らかの閾値を超え」「その日の夕方になるとコロニーのほぼ全員が同じことをするようになっていた」という。

ところが実際に河合博士の原論文にあたってみると、1953年から1962年にかけて芋洗い行動を獲得した猿のデータが確認できる。そこには、百匹目の猿現象が1958年に起きたことを示す爆発的な数の変化や、コロニーのほぼ全員が同じことをするようになったことを示唆する記録は見当たらない。

以下に示すのは、河合博士の論文4ページの表1に掲載されている1953年から58年3月の間に芋洗い行動を身につけた猿の記録である。

※スマホなどで閲覧の場合、以下の表は画面を横にすると、あまりはみ出さず読みやすい。

   1歳~
1歳半
2歳~
2歳半
 3歳  5歳 6歳 7歳以上 合計
1953年 イモ  セムシ       エバ  3
1954年  ウニ            1
 1955年  エイ  ノミ  コン        3
 1956年 ササ  ジューゴ    サンゴ
アオメ
    4
 1957年 ハマ
エノキ
       ハラジロ ナミ 4
 1958年    ザボン
ノギ
        2

この記録と河合博士の論文3ページにある説明を合わせると、58年の3月までに7歳以上の11頭(オス6頭、メス5頭)の大人猿のうち、芋洗い行動を身につけたのはエバとナミのわずかに2頭だけである。(18.1%)

このうちエバは芋洗い行動を最初に発明したイモの母親で、ナミも息子のジューゴが芋洗い行動を身につけていた。つまり、この2頭の母猿の場合は自分の子どもが芋洗いを行っているのを見て、その行動を身につけたということになる。

一方、2歳から6歳までの若猿19頭(オス10頭、メス9頭)では、15頭が芋洗い行動を身に付けていた(78.9%)。7歳以上も合わせた合計では2才以上の計30頭のうち、17頭が芋洗い行動を身につけたことになる。(56.6%)

論文では、58年の秋以降に起こったとされる百匹目の猿現象についての記録はない。そのため他の記録を参照すると、62年の夏までに2才以上の猿は合計49頭に増えており、そのうち36頭が芋洗い行動を身につけていたことがわかる。(73.4%)

さてここで一度振り返ってみよう。ワトソンによれば、58年の秋以降のある日、新たな改宗者(便宜上、芋洗い行動の100匹目の猿)が加わったことにより「数が明らかに何らかの閾値を超え」「その日の夕方になるとコロニーのほぼ全員が同じことをするようになっていた」とされる。

これを実際の記録とつき合わせてみると……58年の3月時点で芋洗い行動を身につけていた猿は、もともと普通の成長過程で行動を覚えやすく、すでに広まっていた1歳~1歳半を除くと全体の56.6パーセント。ワトソンの主張が本当ならば、このあと100%に近い獲得率を示すはずである。

ところが実際はどうだったのかといえば、62年の夏の時点でも芋洗い行動を身につけていた猿は73.4%。58年から4年も後の時点ですら7割を少しこえる程度しかいなかった。増えたのは17%程度。おそらく58年の秋時点では、50%台後半から60%程度しかいなかったと推測される。

とくに58年以前に7歳以上だった猿(子が芋洗い行動を身につけていたエバとナミを除く)は、百匹目の猿現象が起きたとされる58年以降も決して芋洗い行動を身につけようとはしなかった。この世代の58年以降の芋洗い行動獲得率はゼロ。これは現象の重要ポイントである、否定的な集団に対する伝播が根本的に成立していなかったことを意味している。

これで「コロニーのほぼ全員」などと言ったり、残りの猿にも行動が伝播したかのように主張するのは、いくらなんでも誇張が過ぎるのではないだろうか。

記録がない期間があるからといってデタラメを主張していいわけではなく、残されている記録からまともな推論を述べるべきだった。

遠く離れた場所でも百匹目の猿現象は起きた?

最後は遠く離れた場所でも百匹目の猿現象が起きたとされる話について。ワトソンによれば芋洗い行動は幸島の群れ以外にも、遠く離れた高崎山の猿やその他の島々の猿たちにも伝播したとされる。

この話については先にも紹介したロン・アームンドスン教授とマークス・ポッセルが、河合雅雄博士本人にインタビューしている。

幸島から他の島や本土のサルの群れに、自然発生的かつ急速に芋洗い行動が広まったことを知っていますか?

この質問に対する河合博士の回答は次のとおり。

他の群れや動物園の個々のサルが偶然に芋洗い行動を覚えたことはあるかもしれない。しかし幸島でも、芋洗い行動が他の群れのメンバーに広まったという観察の報告はありません。

この件については他に大阪市立大学(当時)の川村俊蔵教授の論文にもあたって確認したが、高崎山や他の島で百匹目の猿現象が起きたことを示す記録はなかった。

結局、百匹目の猿現象が事実でないならば、主張されるような画期的な意識改革も絵に描いた餅となってしまう。奇跡に頼るのではなく、地道な活動で輪を広げていく方が賢明である。

【参考資料】

  • ライアル・ワトソン『生命潮流』(工作舎、1982年)
  • ケン・キース・ジュニア『百番目のサル』(佐川出版、1984年)
  • 船井幸雄『百匹目の猿』(サンマーク出版、1996年)
  • 三戸サツエ『幸島のサル』(鉱脈社、1996年)
  • Masao Kawai「Newly acquired precultual behaviour of the natural troop of Japanese monkeys on Koshima Islet」 『Primates』(Vol.6, No.1, 1965)
  • Syunzo Kawamura 「The Process of Sub-cultural Propagation among Japanese Macaques」『Primates』(Vol.2, Issue 1, 1965)
  • Markus Possel & Ron Amundson「Senior Researcher Comments on the Hundredth Monkey Phenomenon in Japan」『Skeptical Inquirer』(Vol.20, No.3, May/June, 1996)
レクタングル広告(大)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする