宇宙人解剖フィルム


伝説 1995年8月28日、アメリカやヨーロッパで「宇宙人解剖フィルム」という衝撃の映像が世界同時公開された。

解剖フィルムのワンシーンこのフィルムは、イギリスの音楽プロデューサーであるレイ・サンティリが、94年11月にアメリカの従軍カメラマンから10万ドルで買い取ったものである。カメラマンの証言によれば、1947年にニューメキシコ州ロズウェル近郊に墜落した空飛ぶ円盤の中から発見されたエイリアンの解剖シーンを16ミリフィルムに収めたものだという。

「宇宙人解剖フィルム」は、すでにアメリカのコダック社によって鑑定が行われており、その結果1947年のフィルムと断定された。

このフィルムこそ、異星人実在の決定的証拠であることは間違いない。

【画像引用元】
「Just SICK jokes」(http://jokes.justsickshit.com/)

 


 

謎解き  「宇宙人解剖フィルム」といえば、UFO好きの間では非常に有名なフィルムだ。しかし欧米では、ロズウェル事件は本物だと思っていても、宇宙人解剖フィルムを本物だと思っているUFO研究者はほとんどいない、というのが実情である。

以下では、このフィルムの検証結果を紹介しよう。

 

カメラマンの捜索

まずはフィルムを撮影したカメラマンは実在するのか? について。これは間接的な資料ではあるが、「カメラマンズ・ストーリー」という覚え書きがある。(宇宙人解剖フィルムがカメラに収められた過程を、カメラマンから聞きとって文章化したものだと称する覚書)

覚え書きによれば、カメラマンは軍に入隊していた従軍カメラマンだったこと、解剖フィルムを撮影する前に、「ホワイト・サンズ」(トリニティ)で進められていたマンハッタン計画の撮影を行っていたこと、さらに、その後はミズーリ州セントルイスへ、新型ラムジェットの「リトル・ヘンリー」を撮影するために行っていたことなどが述べられている。

これらのことが本当であれば、謎のカメラマンの正体をつきとめることができる。

まず、マンハッタン計画については、ロス・アラモス国立図書館で司書をしているロジャー・ミードによると、この計画に参加していたカメラマンは、バーリン・ベリックスナーという写真家を含めて4人いたという。しかし、4人とも民間人で、従軍カメラマンは一人も参加していなかった。

次に「リトル・ヘンリー」。これは1947年にマクドネル社が開発した、世界最初のラムジェットを使用したヘリコプターのことである。

この件については、フランスのテレビ局「テレビジョン・フランス・ワン」(TFI)のニコラス・マイラードが調べている。彼によれば、リトル・ヘンリーの撮影には、マクドネル社お抱えの二人のカメラマンしか参加していないという。名前はチェスター・タークとビル・シュミットで、二人とも民間人だった。

結局、謎のカメラマンの正体はつきとめられなかったものの、重要な2点においてカメラマンは嘘をついていたことはわかった。

そこで、次はプロの従軍カメラマンによる、さらに突っ込んだ検証を紹介しよう。

 

浮かび上がる矛盾点

カメラマンの正体がわからない中、ケント・ジェフリーという人物が、宇宙人解剖フィルムの分析を徹底的に行った。ジェフリーは、「ロズウェル・イニシアチブ」というUFO団体を主宰している人物で、ロズウェル事件の徹底解明を求めてインターネット上で電子署名を行ったりしている。

分析は、ジョー・ロンゴ、ビル・ギブソン、ダニエル・マクガヴァン、という3人の従軍カメラマンの協力を得て行われた。3人とも従軍カメラマンの代表と言っていいほどの経歴の持ち主であり、中でもギブソンとマクガヴァンは、空軍が行っていたUFO調査プロジェクトにも参加していた経験を持っている。

以下は、彼らの分析によって浮かび上がった矛盾点である。


・地元のカメラマンが出動しない

サンティリによれば、解剖フィルムを撮影したカメラマンは、ワシントンD.C.に配置されていて、1947年6月に命令を受け、ニューメキシコ州ロズウェルへ向かったということになっている。
しかし、アメリカ中の基地には必ず従軍カメラマンが配置されている。わざわざワシントンからカメラマンを呼ぶ必要など全くない。


・フィルムが回収されない

問題のカメラマンは、解剖フィルムを自分で現像したという。さらに所持していた残りの宇宙人解剖フィルムは、何度連絡してもワシントンの軍関係者が回収しに来なかったので、手元に残ったのだそうだ。

ところが実際の軍の極秘プロジェクトでは、どんな状況下でもカメラマンは決して自分自身で現像することはなかった。さらに現像している、いないにかかわらず、リールはもちろん、撮影されたフィルムは最後の1フレームまで必ず回収された。厳密を期すために、「フレームカウンター」と呼ばれる機械でフレーム数がカウントされたり、「99フィートと10フレーム」といった形でフィルムの長さまで管理されていた。


・カラーフィルムが使われていない

1947年の時点で、米軍で記録用に使われていたフィルムは、16ミリのカラーと35ミリ、そして16ミリの白黒の3種類だった。
宇宙人解剖フィルムで使用されているのは16ミリの白黒フィルムなので、一見矛盾はないように思われる。しかし米軍では医学的に特殊なシーンを撮る場合には、必ず16ミリのカラーフィルムが使われることになっていた。

これに対しサンティリ側は、「急にロズウェルに飛ぶように命令されたので、カラーフィルムを用意する暇がなかったのだ」と苦しい言い訳をしている。

ところが覚え書きによれば、宇宙人解剖フィルムは1947年7月、ダラスのフォートワース基地内で撮影されたことになっている。
ロズウェルで墜落事件が起きてから1ヶ月も後で、さらに基地内で行われたというのに、カラーフィルムが用意出来なかったはずがないだろう。


・カメラが固定されていない

1947年当時、米軍では医学的に重要な記録を撮影する際には、2台の固定カメラが使われていた。1台目のカメラは高い三脚に固定されて、手術台や解剖台の横方向の高い位置から撮影する。2台目のカメラは頭上に置かれ、天井からの撮影が行われた。

ところが宇宙人解剖フィルムの撮影には1台のカメラしか使われておらず、しかも手持ちで頻繁に動きながら撮影されている。

この他にも、「動画を撮るカメラマンだけで、静止画を撮影するカメラマンがいない」とか、内臓や脳など重要なところのアップになると、急に(タイミング良く?)ピントがボケるなどの矛盾点が指摘されている。

ちなみに、この分析に協力したマクガヴァンは、問題のカメラマンの完全な名前と軍の認識番号を教えてくれたら、ミズーリ州セントルイスにある空軍記録センターに問い合わせて、フィルムを撮影したカメラマンが軍に所属していたことを証明してあげよう、と申し出ている。

しかしこの願ってもない申し出に対し、サンティリ側からの返答は未だにない。

 

コダック社の鑑定

ここでは宇宙人解剖フィルムの最後の命綱ともいうべき、コダック社による鑑定結果について見ていこう。

まず重要なのは、コダック社は「宇宙人解剖フィルムは1947年のものである」とは一度も断定していないということだ。コダック社が行った鑑定では、「“鑑定したフィルムは”1927年か、47年か、67年のコダックのフィルムと同じものだった」ということがわかったに過ぎない。

これだけでは三つの年のうちのどれであるかは判らないはずだ。
しかしボブ・シェルという写真雑誌編集者が、「宇宙人解剖フィルムは、シネ・コダック・スーパーXXというフィルムを使って撮影されている」と主張したことで、問題のフィルムが47年のものである可能性が出てきた。というのも、この「シネ・コダック・スーパーXX」というフィルムは、1927年と67年には製造されていなかったからだ。

しかし、上でわざわざ“鑑定したフィルムは”と強調していることに注意してほしい。
実はサンティリがコダック社に鑑定用として送ったフィルム(以下参照)には、肝心の宇宙人の解剖シーンが映っていないのだ。

 

これが問題なのは解剖シーンが映ってないことはもちろん、この鑑定用に出されたシーンの後には、数コマにわたって真っ黒いカットが入り、本編と分離されているということである。

これでは鑑定する意味がないだろう。


【画像引用元】
「The Truly Dangerous Company」
( http://www.trudang.com/autopsy/autofilm.html)

 

カメラマンは実在していた?

これまでカメラマンに対する矛盾点やコダック社の鑑定について見てきた。ここでは95年に世界同時公開後にあった大きな展開について紹介したい。

公開された顔96年12月にフジテレビの番組で、ついに問題のカメラマンが映っているビデオ映像が流された。

これまで肝心なところで、はぐらかし、誤魔化してきたサンティリ側にしては、思いのほかすんなりと映像を提供してきたことで多くの者が驚いた。そして、当初は顔を公開しても大丈夫ということは、正体がバレない何らかの自信(特殊メイクで架空の人物を作り上げたなど)があるのではないかとも推測されていた。

しかし2006年4月4日、レイ・サンティリ自ら、このカメラマンの正体はジャック・バーネットというロサンゼルスの路上にいたホームレスだったことを告白した。
サンティリによると、本物のカメラマンは別に実在するらしいが、96年12月のビデオ映像ではその本物を出演させることができず、偽者としてホームレスを雇うことになったという。

【画像引用元】
「UFO Casebook」 (http://www.ufocasebook.com/alienautopsyupdate.html)

 

ダメ押し

最後に、ダメ押しとなる検証の紹介と、2003年の大晦日にテレビ朝日で放送された「宇宙人解剖フィルム」に軽く触れて終わりとしよう。

まずダメ押しとなる検証は、『The Truly Dangerous Company』というサイトを運営しているトレイ・ストークスとマイヤ・ビートンという特殊メイクの専門家が行っている。彼らは「宇宙人解剖フィルム」を本物だと思うか、それとも特撮だと思うかという質問を、アカデミー賞受賞者を含む特殊メイクの専門家にアンケートを行っている。

結果は、アンケートに答えた18人全員が、「特撮だと思う」と答えている。(アンケートに答えた専門家の中には、解剖フィルムに登場する宇宙人のことを「ゴム野郎」と揶揄する専門家もいて、けっこう面白い)

このほかに彼らが行っている検証では、「俳優のように振舞う医師」、「2面しか映らないテレビセットのような壁」、「ハサミの持ち方の謎」、「目玉カバーが半分しかない不思議」などがある。

長くなるのでここでは省略するが、どれも解剖フィルムの矛盾点を的確に指摘している。(詳しく知りたい方は上記のサイトへ。「宇宙人の作り方」というコーナーもあり、とても面白い)

 

大晦日のスペシャル番組

2003年の大晦日に、恒例となった超常現象のスペシャル番組が放送された。目玉は「宇宙人解剖フィルム」。

番組によれば、問題のビデオの存在が明らかになったのは、2001年5月にワシントンD.C.で行われた「ディスクロージャー・プロジェクト」(暴露記者会見)がきっかけだっという。この記者会見で、元連邦航空局職員のジョン・キャラハンという人物が、「オリジナルからコピーしたビデオテープです」と、1本のテープを出した。

この中に収められているのは、1953年5月21日アリゾナ州キングマンの山中に墜落したUFOに乗っていた、J-RODという宇宙人の解剖シーンだという(カラー映像)。一応「世紀のスクープ」らしい。

ところが、問題のビデオの存在が明らかになったのはディスクロージャー・プロジェクトが最初ではない。

このビデオは元々、1997年4月4日に放送された、ABCテレビの「20/20」という番組の企画で作られたフェイク映像(ニセモノ)なのだ。製作理由は、サンティリの「宇宙人解剖フィルム」は特撮で再現できることを見せるためで、スティーブ・ジョンソンという特撮の専門家が中心となって作られた。そのときの製作風景は、こちら(少しグロイ)で見ることができる。

これらを見れば、「宇宙人解剖フィルム」が初めて人々の前に出た95年当時の特撮技術でも、十分に製作が可能であったことがわかるだろう。実際のところ、スティーブ・ジョンソンらが作ったビデオは、サンティリのオリジナルより良く出来ている。

サンティリもどうせ騙すなら、もう少し上手く騙してほしいものである。


【追記】 2006年4月、この『宇宙人解剖フィルム』について、最後のトドメを刺す進展があった。イギリスで彫刻家として、「アレキサンダー」や、「ドクター・フー」(英人気テレビ番組シリーズ)などの特殊美術を担当していたジョン・ハンフリーが、『宇宙人解剖フィルム』を作ったのは自分だと、告白したのだ。
ハンフリーによれば、イギリスで公開される『Alien Autopsy』(リンク先は公式ページ)という、宇宙人解剖フィルムをモチーフにしたパロディ映画にて、同じタイプの宇宙人の製作を担当した事をきっかけに、今回の告白に到ったという。

またハンフリーは、『宇宙人解剖フィルム』にて、完全防備のハズの防護服に空気を送るチューブが接続されていない(つまり本当なら呼吸できない)、という間抜けな服を着ていた外科医の役も、実は自分が演じていたと告白した。

以下は、この件を報じたニュース
「Salford man admits alien autopsy fake」(Manchester Evening News)
「異星人解剖フィルム ― エイリアン製作者が遂にカミングアウト」(X51.ORG)

また、以下はジョン・ハンフリーのサイト。
http://www.john-humphreys.com/
下のメニューにある「art gallery」と書いてあるところをクリックすると、彼が手がけた過去の作品を見ることができる。