空飛ぶ円盤ブームのきっかけとなった「ケネス・アーノルド事件」

伝説

「UFOの日」とされる日がある。それは1947年6月24日。この日に起きたケネス・アーノルド事件が世界的な空飛ぶ円盤ブームを生み出したことから、そう呼ばれるようになった。

では、その事件とは一体どんなものなのか。概要はこうである。

1947年6月24日の午後2時頃、アメリカのケネス・アーノルドという実業家が、ワシントン州チェハリスでの仕事を終え、空港へ向かった。彼は飛行免許と自家用飛行機を持っていたため、その自家用飛行機でチェハリス空港を離陸。目的地は同州のヤキマだった。

ケネス・アーノルドと彼の愛機コールエアー

ケネス・アーノルドと彼の愛機コールエアー
(出典:左『FATE』Spring 1948, 右『The Coming of the Saucers』1952)

途中、彼は、当時行方がわからなくなっていたアメリカ海兵隊の大型輸送機を捜索するため、同州のレーニア山へ寄り道をすることにした。輸送機は山腹あたりに墜落したのではないかと考えられていたからだ。

レーニア山に到着したアーノルドは、付近をくまなく捜索。しかし残念ながら輸送機を発見することはできなかった。そこで進路をヤキマに向けた。

事件が起きたのは午後3時頃のことである。アーノルドの目に何かの反射光が飛び込んできた。近くに何かいるのか。彼は慌てて周囲を見渡したが、反射光の正体はわからなかった。

ところがそのとき、左に見えるレーニア山の北側で、9つの奇妙な飛行物体が編隊を組んで飛んでいることに気がついた。

ただのジェット機だろう

最初はそのように思われた。ところがよく観察すると尾翼が見当たらない。また物体はジグザグ飛行や鋭角ターンといった、通常のジェット機には見られない動きをしていた。

さらに物体までの距離など、詳しく観察した情報をもとに飛行速度を計算してみると、実は時速2730キロという猛スピードで飛んでいることが判明した。音速の約2倍の速さである。当時はこんなスピードで飛べる航空機は存在していなかった。

アーノルドが物体を観察できたのは2、3分ほどだったが、その間に物体の大きさが約15メートルで、編隊の長さは約8キロにおよぶことも突き止めている。

カメラは持っていなかったため、写真は撮影されていない。

彼は物体の目撃後、ヤキマの空港へ降り立った。そこで自らの体験の一部始終を新聞記者らに報告。すると翌日には新聞の一面で取り上げられ、またたく間に全米に広まっていった。

その過程では物体の形がコーヒーカップの受け皿のようだったことから「空飛ぶ円盤」という言葉が誕生している。こうして新語を得たケネス・アーノルド事件は、やがて世界的な空飛ぶ円盤ブームを巻き起こし、UFO史に残る非常に重要な事件となった。(以下、謎解きに続く)

謎解き

この事件の中で特に奇妙なのは、物体が「ジグザグ飛行や鋭角ターン」をしていたという点や、音速の2倍ものスピードが出ていたという点だろうか。

このうち「ジグザグ飛行や鋭角ターン」という描写は、実際のアーノルドの証言には出てこない。一方、スピードについてはアーノルドが見積もった物体までの距離(約32~40キロ)大きさ(15メートル)などをもとに計算されている。それらは正しいのだろうか。

たとえば3.2キロ先に身長150センチの人が立っていたとしよう。それは当然、豆粒のようにしか見えない。けれどもアーノルドの話が正確だとすると、これと同じような状況で正確に形まで識別できたということになってしまう。

また彼は後年、物体にあったという円形の模様まで識別できたとしている。これは先の例でいえば、3.2キロ先の人が着ているTシャツに絵が描いてあって、その絵が識別できたと言っているに等しい。そんなことは到底不可能だろう。

アーノルドは距離や大きさを間違って見積もっていた可能性が高い。「超音速」という結果は前提が正しいとした場合のもの。前提が違うのであれば、当然結果も変わってくる。

正体をめぐる各説

アーノルドが実際に目撃したものは何だったのか。これまでには様々な説が考えられてきた。主なところでは、秘密の軍用機説、地形性の雲説、蜃気楼説、火球説、鳥説、気象用気球説などがある。

アーノルドは、当初、ソ連の秘密兵器ではないかと考えていた。

これらのうち、ここでは鳥の誤認説を取り上げてみたい。中でも、比較的ユニークな「ペリカン誤認説」を取り上げる。

それにしても、なぜペリカンなのか?と思うのではないだろうか。私も最初はそう思った。しかし、これにはちゃんと理由があった。

まず、ここでいう「ペリカン」とは、具体的には「アメリカ・シロ・ペリカン」のことを指している。羽を広げると全長が約3メートルになるアメリカでも最大級の鳥で、夏期はアメリカ北部で過ごし、冬期は南部へと移動する渡り鳥である。

アメリカ・シロ・ペリカン(by Brian Currie)

アメリカ・シロ・ペリカン(by Brian Currie)

ペリカン誤認説を最初に考えたのは、イギリスのUFO研究家ジェームズ・イーストン。そのきっかけは、1947年7月12日付けの『ニュー・ウェストミンスター・ブリティッシュ・コロンビアン』紙に掲載された記事だったという。

その記事のタイトルは「空飛ぶ円盤はペリカンだと言っている」。記事によれば、ノースウェスト航空のゴードン・ムーアヴァーン・キスラーというパイロットが、ワシントン州スポーケーンからオレゴン州ポートランドへと向かう航路の途中で、1947年7月2日に空飛ぶ円盤らしきものを目撃していたという。ムーアは次のように述べる。

突然、9つの大きな丸い円盤が、我々の約600メートル下で、北方にくねりながら動いているのを目撃しました。

ところが、ムーアは次のように続ける。

我々は調査して、それらが本物のペリカンだったことに気がついたんです。

当初、9つの空飛ぶ円盤だと思ったものは、実はペリカンの群れだったという。ムーアたちが目撃した時期や場所はアーノルド事件と比較的近く、目撃内容も似ていた。そこからイーストンは3年ほど鳥類学者たちと議論を重ね、ペリカン誤認説を出すに至ったという。

ペリカン誤認説では、アーノルドの最初期の目撃情報にも注目する。それは1947年6月26日付けの『イースト・オレゴニアン』紙の記事で、そこにはアーノルドが物体を最初に目撃したとき、「スノー・グースの群れだと思った」という話が紹介されているからだ。

スノー・グースとは、日本では白雁(はくがん)と呼ばれるカモ科の冬鳥で、下の写真をご覧いただければわかるとおり、体色がアメリカ・シロ・ペリカンとよく似ている。

スノー・グース(by John Schwarz)

スノー・グース(by John Schwarz)

アーノルドは、スノー・グースが高空を飛ばないことから、その可能性を却下していた。けれどもアメリカ・シロ・ペリカンであれば、上昇気流にのると高空でも飛ぶことができる。

しかも上昇気流にのっている間はほとんど羽を動かさない。そのため遠くから見た場合、鳥かどうかの判断が難しくなる。

アーノルドはスノー・グースの後に、ジェット機の可能性を考えている。

アメリカ・シロ・ペリカンがほとんど羽を動かさずに飛ぶ様子は次の動画で確認できる。

White Pelicans Hover Over Bayou Corne~

また、編隊を組んで飛行することもできる。

さらにアメリカ・シロ・ペリカンは風切り羽が黒いため、横方向や少し角度がついた状態で見ると、やや暗めに見える。しかし胴体は白いため、体を傾けたりすると、その白い部分がよく目立ち、急に明るくなったように見えることがある。

実はこれが、アーノルドの目撃情報にある反射の正体だった可能性も考えられている。彼は、物体がときおり動いたときに、日光が反射したように見えたと語っていた。ところがそれは反射ではなく、アメリカ・シロ・ペリカンの体色の変化を誤認したのではないか、というのだ。

下の動画をご覧いただきたい。これはアメリカ・シロ・ペリカンの群れを撮影したもので、飛び方の変化により、約2分の間に何度か急に明るく見えることが確認できる。

White Pelicans Soaring in Florida

このようにペリカン誤認説は、「アメリカ・シロ・ペリカン」という種を拠り所にしている。とはいえ、これですべてが説明できるのかといえば、そう簡単でもない。実は次項で見るように、物体の「形」という基本的な情報からしてアーノルドの証言は一貫しないからだ。

「空飛ぶ円盤」は誤解だったのか?

アーノルドは自分が目撃したものを「空飛ぶ円盤」(フライング・ソーサー)という言葉を使って形容し、新聞記者に語ったとされている。

当初、アーノルドはヤキマの空港で友人のアル・バクスターに目撃した内容を話してから、オレゴン州のペンドルトンへ移動し、FBIの支局へ向かった。ところが閉まっていたため、地元で『イースト・オレゴニアン』紙を発行する新聞社へ向かい、居合わせた記者のビル・ベケットとノーラン・スキッフに話をしたとされる。

ところがアーノルドは、後年、記者に話したとされた「空飛ぶ円盤」(フライング・ソーサー)に関して誤解があったと主張する。本来は「水面をきるように皿を投げて、スキップさせた時に似ている」と、物体の「動き」について言ったことを、「形」のことだと誤解されたというのだ。本来はもっと三日月のような形をしていたという。

しかし調べてみたところ、どうもこの話には疑義があることがわかった。アーノルドは事件から約3週間後の1947年7月12日、軍にレポートを提出している。そのレポートでは、アーノルドは自分が見た物体の形について次のように書いていた。

その編隊の数機に太陽光が反射したとき、物体は完全な円形に見えました

形は「円形」だったという。ただし、物体が雪に覆われた尾根を通過したときには、また少し違った形に見えたといい、そのときの形を絵に描いている。その絵を見ると、後方が少し欠けているものの、まだ円形に近いことがわかる。

出典:プロジェクト・ブルーブック

実際、レポートの他の箇所では、自分が目撃したものと同じ物体が目撃された例が他に6、7例あることを示しているところで、その形を「皿のような円盤」と書いている。

さらにこのレポートを受け、軍側が作成した報告書に物体の形状について記された項目があるのだが、そこにはやはり、「ほぼ円形」と書かれている。

つまり、アーノルドが誤解されたと主張した物体の形は、実は誤解ではなかったようなのだ。もし本当に誤解だったのであれば、彼にはそれを解く機会があった。

しかし、彼はその機会を活かさなかった。むしろ本人のレポートからわかるのは、彼が物体の形を丸い円盤のようものだと考えていたということである。

形が変化していくアーノルドの目撃した物体

このようにアーノルドは、1947年の7月中旬頃までは、物体の形を円盤型に近いと考えていたようである。ところがこの後、物体の形は変化していく。そのきっかけは、1947年7月31日に知り合いの軍人から見せられた、ある絵だったという。

アーノルドはこの日、ワシントン州のモーリー島で起きた事件の調査のため、同州のタコマにあるホテルに宿泊していた。そこに、かねてより調査協力を要請していたウィリアム・デビッドソン大尉(もとはアーノルド事件の調査担当)がやって来た。

出典:『FATE』(Volume 1, Number 1, Spring 1948)

出典:『FATE』(Volume 1, Number 1, Spring 1948)

大尉は他のUFO目撃事例について話す中で、7月にアリゾナ州フェニックスで起きた事件について少し話をしたという。その事件ではUFOの写真が撮られていた。そして大尉は、その写真に写っていたUFOを、その場のメモ用紙に描いて見せた。

それが右のような絵だったという。アーノルドはこの絵を見たとき、ショックを受けたそうだ。なぜなら、自身が6月24日に目撃したUFOの中にも、この絵と同じような形をした物体が1つだけあったからだという。

アーノルドによれば、見間違いの可能性もあったらしく、それまで誰にも、その話をしたことがなかったそうだ。

それでも彼が目撃したとき、9つの物体は逆エシェロン隊形(先頭が一番高く、他は斜め後方に下がっていく形)、またはガン(鳥)の編隊にとてもよく似た飛び方をしており、そのうち下から2番目の物体だけが、前出の形に似ていたという。

デビッドソン大尉が描いたという絵は、アーノルドの中にあったおぼろげな記憶に明確な輪郭を与えることになった。1950年に、アーノルドが自身の体験をまとめた小冊子を発表したときには、その表紙に三日月型をした精細なUFOの絵が掲載された。これこそメモ書きの絵が具現化したものだった。

アーノルドの小冊子『The flying saucer as I saw it』に載ったイラスト

アーノルドはこれ以降、自らが目撃したUFOの代表例として、この三日月型をより推していく。さらに前出の誤解発言を言い出したのも1950年のラジオ番組でのことだった。どうやら彼は「空飛ぶ円盤」と決別したかったようである。

UFO研究家の有江富夫氏から貴重な情報をご教示いただいた。『リーダーズ・ダイジェスト』の1947年3月号にて、上記の三日月型に似た全翼機「XB-35」の記事が掲載されているという。これは事件の約3ヵ月前と近い。もしアーノルドが同誌の記事を読んでいた場合、何らかの影響を受けていた可能性は考えられる。(同機は初飛行が事件の約1年前の1946年6月25日で、カリフォルニア州で飛行実験はしていたものの、ワシントン州での記録はないという)

「空飛ぶ円盤」をめぐる背景

当初、1947年6月下旬から7月にかけては、「空飛ぶ円盤」という新しい言葉は便利な言葉だった。なんだかよくわからない飛行物体を目撃したときに、うまく言い表して報告できたからだ。

ところが当初新しく便利だった言葉も、大衆の間で広く認知され、様々な事例で使われていくことで、どんどん陳腐化していった。UFO研究家のデビッド・ジェイコブスは、その著書『全米UFO論争史』の中で、当時の状況を次のように書いている。

7月の終わりまでには、新聞記者は上空で不思議なものを見たと主張する目撃者たちを、クレイジーのカテゴリに機械的に分類した。その後ケネス・アーノルドは嘲笑の犠牲者となり、『10階建てのビルが空を飛んでいるのを見ても、何も言わないよ』と発言した。米空軍のある調査員は、『多くの米国人にはアーノルドが間抜けに見えた』と個人的に書き留めている。

こうしてアーノルドに与えられていた「空飛ぶ円盤の生みの親」という称号は、名誉なことではなく、むしろ恥に近いものになっていったようだ。

アーノルドは立派な経歴を持つ地元で尊敬される人物だった。そんな彼にとって、こうした扱いは大いに不満だったのだろう。晩年に行われたインタビューなどでは、そうした不満が見てとれる。

「空飛ぶ円盤」から距離を置こうとした彼の行動には、このような背景があったようだ。

今後も続いていく研究

さて、このようにアーノルドの証言内容は時代の状況に応じて変わってしまっている。また距離や大きさの見積もりのように、正確さに欠ける証言もある。そのため後年の誤解発言も含め、彼の話す内容をすべて正しいとする前提に立つのは危うい。

とはいえ、特に初期の証言を丁寧に追っていけば、彼はできるだけ誇張や煽りを排除しようと努めた冷静な目撃者だったこともわかる。だから彼の証言をすべて信用できないとして退けることもまた危うい。

1947年6月24日にケネス・アーノルドは複数の飛行物体を目撃した。これ自体は確かだと考えられる。ただし、それが何だったのかについては諸説あるものの、まだはっきりしない。

それでもここ20年ほどは、アメリカで始まった「プロジェクト1947」という研究プロジェクトによって、これまで埋もれていた1947年当時の資料の発見などはあった。今後、まだ知られていない、もしくは忘れられていた情報が出てくる可能性はある。期待して待ちたい。

【参考資料】

  • 『FATE』(Volume 1, Number 1, Spring 1948)
  • Kenneth Arnold, Ray Palmer『The Coming of the Saucers』(1952)
  • デニス・ステーシー、ヒラリーエヴァンス『UFOと宇宙人 全ドキュメント』(矢沢サイエンスオフィス、1998年)
  • ピーター・ブルックスミス『政府ファイルUFO全事件』(並木書房、1998年)
  • 日本宇宙現象研究会『1947年のUFO報告 ケネス・アーノルド事件』(2000年)
  • エドワード・J・ルッペルト『未確認飛行物体に関する報告』(開成出版、2002年)
  • デビッド・ジェイコブス『全米UFO論争史』(ブイツーソリューション、2006年)
  • 皆神龍太郎『UFO学入門』(楽工社、2008年)
  • James Easton「Re: Pelicans Redux – Easton」(http://www.ufoupdateslist.com/2001/mar/m14-024.shtml)
  • James Easton「Earth Versus the Flying Pelicans」(http://mailman1.u.washington.edu/pipermail/tweeters/2000-July/011587.html)
  • Robert Sheaffer「Kenneth Arnold and Pelicans」(http://badufos.blogspot.jp/2016/08/kenneth-arnold-and-pelicans.html)
  • クリストファー・M・ペリンズ『世界鳥類事典』(同朋舎、1996年)
  • 『ナショナル・ジオグラフィック 日本版』(2006年8月号)
  • Hilary Evans, Robert E. Bartholomew『Outbreak!: The Encyclopedia of Extraordinary Social Behavior』(Anomalist Books , 2009)
  • 「PROJECT 1947 UFO REPORTS – 1947」(http://www.project1947.com/fig/1947a.htm)
    (http://www.project1947.com/fig/1947b.htm)
  • 「プロジェクト・ブルーブックの資料」(https://www.fold3.com/image/1/9668731)
  • Kevin Randle「Kenneth Arnold and the Flying Saucers」(http://kevinrandle.blogspot.jp/2012/06/kenneth-arnold-and-flying-saucers.html)
  • グレゴリー・ロング「“円盤”ブームを起こした男 ケネス・アーノルドの証言」『UFOと宇宙』(ユニバース出版社、1982年6月号)
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