
この「Step 2」では、記憶に関する話をご紹介しよう。
まずは、イギリスの心理学者で懐疑論者としても有名なリチャード・ワイズマンによるこちらの動画をご覧いただきたい。マジックなので、集中していれば英語のわからない方でも十分に楽しめるが、この動画の解説は以下のリンク先をクリックして表示される別ウィンドウで行うので、動画を見終わるまでクリックしないでほしい。
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あなたは100円玉の表と裏の両面を記憶だけで描くことができるだろうか。100円玉なら普段から見慣れているはずでも、いざ描くとなると、「あれ・・・どんな模様だったっけ」と考えてしまう人も多いのではないかと思う。
京都大学の梅本堯夫教授らのグループは、5つの採点ポイントを設けて60人の大学生にテストしたところ、思い出せたのは平均して1.95個だったという。(下記参照)
ポイント |
正答率 |
|---|---|
100 |
100.0% |
昭和・・・年 |
40.0% |
日本国 |
23.3% |
百円 |
21.7% |
桜の花3個 |
10.0% |
右の表を見てもらえばわかるように、人は確かに見ているものであっても、ビデオを再生するように正確に思い出すことは難しいようだ。
ここでは、『超常現象をなぜ信じるのか―思い込みを生む「体験」のあやうさ』
菊池聡【著】(講談社)から引用する。
「『記憶は不確実である』イコール『覚えたことを思い出せない』というだけならば、
これは誰でも納得できることだと思います。(中略)ですが、この意味での不確実性は比較的軽い問題にすぎません。思い出せないことが自覚できるなら、それなりに対処のしようがあるからです。深刻なのは、
『事実とは異なる情報が思い出されてしまう』という意味での記憶の不確実性です。つまり、記憶システムの中で記憶情報の変容が起こってしまう場合です。
これが思い出せない場合よりタチが悪いのは、本人には間違った記憶だという自覚がまったくなくて、正しい記憶のつもりでいることです。」
こういった「事実とは異なる情報が思い出されてしまう」というのは、目撃情報などでも起こり得る。
たとえば、ワシントン大学の心理学者で、記憶と目撃証言に関する研究の第一人者であるエリザベス・ロフタス教授と、その共同研究者によって行われた実験の1つに、約200人の被験者を対象に、車が歩行者を巻き添えにした交通事故を、30枚のカラー・スライドを使って見せた実験がある。
実験では、30枚のカラー・スライドのうち、1枚だけ2種類のスライドが用意されていた。被験者の半数(約100名)にはその交差点の角に「停止標識」があるスライドを、残りの半数には「徐行標識」のあるスライドを見せた。
その後、被験者はいくつかの質問を受けたのだが、その中の1つがキーになる質問になっていた。
2つのグループ(約100名ずつ)のうち、その半数(約50名)に対しては「車が『停止』標識で止まっていたとき、別の車が通過しましたか」と質問し、残りの半数には「車が『徐行』標識で止まっていたとき、別の車が通過しましたか」と質問したのである。
つまり実際に停止標識を見た人も徐行標識を見た人も、その半数は「自分が実際に見た風景についての質問」を受け、残りの半数は「実際には見ていない標識をさりげなく含んだ質問」を受けたのだ。
そして質問の20分後、被験者が最初に見たスライドの記憶を確かめる再認テストが行われた。テストのやり方は、2枚1組のスライドをいくつか見て、実際に自分が見たのはどちらなのかを指摘するというものだった。
この中ではキーとなるスライドである、「車が『停止』標識で止まっているもの」と「車が『徐行』標識で止まっているもの」のペアも含まれていた。
結果は、途中で矛盾のない質問を受けた人の正答率は75パーセント。逆に誤導情報を与えられた人の正答率は、わずか41パーセントだった。
あきらかに、この誤導情報を与えられた中のかなりの人たちが実際には存在しなかった標識の記憶を作り出してしまったのである。
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ロフタスが行った実験は他にも多くあるので、ここでもいくつかご紹介しよう。
学生を対象に交通事故の映画を見せ、その後に誤導質問をした実験がある。
何人かには「白いスポーツカーが田舎道を走って、農家の『納屋』の前を通り過ぎた時、どのくらいのスピードを出していたか」と質問をし、別の人たちには「白いスポーツカーが田舎道を走っていたときのスピードはどのくらいだったか」という、前者の比較対照となる質問をした。
そして1週間後、この学生たちは納屋を見たかどうか尋ねられた。
実際には納屋などなかったのだが、ないはずの納屋を含んだ質問をされていた学生のうち、17パーセントが「実際にそれを見た」と答えた。
これとは逆に、比較対照群の学生で納屋を見たと答えたのは、わずか3パーセント足らずだった。このように、質問の中で「実際には存在しないもの」に何気なくふれると、その後にその物を見たと、偽りの記憶を作ってしまう可能性が高まるようだ。
ロフタスは、こうした偽りの記憶が簡単に作れることを学生に気付かせるため、「誰かに実際には無かったものの記憶をもたせる」という課題を授業で出している。課題に取り組んだあるグループは、駅やバス停、ショッピングセンターなどで次のような実験を行った。
女学生2人が駅の待合室に入り、1人がベンチの上に大きな荷物を乗せた後、2人一緒になって時刻表を確認するために、荷物を置いたままその場所を離れる。
そして2人が離れている間に別の学生が1人、人目を避けるように荷物に近づき、中から何かを取り出して(実際には何も取らない)コートの下に隠すフリをし、急いでそこから離れる。
やがて女学生は戻ってくると、「まあ、私のテープレコーダがなくなっているわ!」と叫ぶのだ。彼女はさらに、上司が彼女のためにそのテープレコーダを特別に貸してくれたこと、高価なものであることなどを泣きながら訴える。
2人はその場に居合わせた目撃者たちに、犯行の様子を詳しく教えてくれるように訴え、多くの人は協力を申し出た。
そして1週間後、保険代理人をよそおって事件現場に居合わせた人たちにいくつかの質問をし、一連の質問の最後には「テープレコーダは見ましたか」と尋ねた。
すると、目撃者の半数以上が実際には存在しなかったテープレコーダを見た覚えがあると答え、そう答えたほとんどの人が詳しく描写したのだ。
「色はグレーだった」とか、「黒い色をしていた」とか、「ケースに入っていた」または「ケースには入っていなかった」、「アンテナが付いていた」など、実際には存在しなかったものを、本当に見たかのように詳しく生き生きと語ったのである。
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こういった実験と同じように、実際には無かったことを本当にあったかのように信じてしまっていた例として、心理学者のジャン・ピアジェの回想録がある。少し長いが、大変興味深いものなのでご紹介しよう。
「他人から聞いた話によって、実際に経験したこととして記憶を形成してしまうという問題もある。
たとえば、私の最も幼いときの記憶の1つは、もし本当だったら、2歳のときに起こっていたはずである。15歳くらいになるまでは、本当の出来事だったと信じていたある場面を、今でもはっきり思い浮かべることができる。そのとき私は乳母が押す乳母車に乗ってシャンゼリゼ通りにいた。そこで私は男に誘拐されそうになったが、幸い乳母車の止め紐が付けられていたし、勇敢な乳母が私を守ってくれて助かった。彼女は気の毒なことに、男と争ったために顔に少し傷を負った。
そのうち人だかりがして、短いマントを着て白い警棒を持った警官が現れると男はあわてて逃げていった。私は未だにその一部始終を思い出せるし、その場所が地下鉄の駅の近くだったこともはっきり分かっている。私が15歳の頃、その乳母から両親宛てに手紙が届き、救世軍で働くことになったと知らせてきた。
その手紙の中で彼女は、過去の過ちを詫び、そしてこの誘拐事件の後、ご褒美に贈られた時計を返したいと言ってきた。実は彼女はこの事件を1人でデッチ上げ、顔に傷まで作っていたのである。つまり私は子どものときに、この乳母を信じきっていた両親から出来事の一部始終を聞いて、視覚的記憶として自分の過去経験の中に投入してしまっていたのである。」
幼いころに聞いたホラ話を、実体験したかのごとく鮮明な記憶として作り上げてしまうとは驚きだが、どうやら、こうした「偽りの記憶」というのは随分と鮮明に覚えているもののようである。
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続いては、本人にとってはまさしく「事実」のように思え、そのことが場合によっては大きな問題を引き起こす例をご紹介しよう。
1980年代の初め、アメリカで「抑圧された記憶」という概念が重要視されるように
なった。
悩みをもった相談者がカウンセラーのところに行ってカウンセリングを受けると、幼いときに両親などから性的虐待を受けたという「抑圧された記憶」を「思い出した」という人が多く生まれたのだ。
そしてその「抑圧された記憶」を「思い出した」多くの相談者たちは、性的虐待で両親を訴え、マスコミなどに大きく取り上げられ社会問題にまでなった。
しかし、ここまで読まれた方なら、そのカウンセリングを受けた結果、「思い出した」という記憶は、本当に正しい記憶なのか? カウンセラーの誤導情報による「偽りの記憶」の可能性もあるのではないか? と考えられるのではないかと思う。
このページでも多く紹介させていただいたエリザベス・ロフタス教授は、多くのアメリカ国民が「記憶を思い出した」人たちに同情するなか、記憶研究の第一人者として、また不正に立ち向かう者として、この「抑圧された記憶」に異論を唱えた。
ロフタスは専門家の立場から、これまでに数百回も裁判で証言をし、記憶は作られると訴えてきた。以下は、ロフタスが陪審員にわかりやすく説明するために用いる比喩である。
「心を、水を満たしたボールのようなものだと思ってください。そして記憶を、水に入れ、かきまぜた1さじのミルクのようなものだと考えてください。大人の心には、何千さじものミルクが、混濁した状態で溶けこんでいます。・・・一体、水とミルクを分離できる人がいるでしょうか」
幸いにも、ロフタスらのこうした証言や努力によって主張は少しずつ認められてきている。そして、「抑圧された記憶」ではなく「偽りの記憶」という概念が世間にも知られるようになってきた。 (控訴審で判決が覆ることも出てきている)
しかしアメリカでは未だに多くの人が「抑圧された記憶」という神話を信じており、記憶は簡単に書き換えが可能だということを知らない人が多いのもまた事実である。今後も粘り強く訴えていく必要があるだろう。
一方、日本では気軽にカウンセラーに相談するという習慣がないためか、アメリカで起きているような事件は今のところ知られていない。
だが、過去の記憶や前世の記憶まで思い出すことができるという「退行催眠」(逆行催眠)などは、日本のメディアでも肯定的に取り上げられることがあるので注意が必要である。
退行催眠は、ビリーバー(肯定論者)が生まれ変わり研究の権威としてよく紹介するイアン・スティーヴンソン博士からさえ、「前世の記憶を探り出す確実な方法だとして催眠が用いられている状況を何とか終息させたい」と言われてしまうほど、お粗末なものなのだ。
実際には、「記憶をよみがえらす」のではなく、「偽の記憶を植えつけている」可能性の高いことが最近の研究では分かってきている。
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これまで紹介してきたように、人間の記憶というのは決してレコーダーのように正確なものではない。普段から見慣れているものでも思い出せないことがあったり、情報を与えられるとそれにつられて記憶が歪められてしまうこともある。また、ときには実際に無かったものを「思い出して」しまうこともある。
視覚編でも書いたように、過信は禁物だ。
アメリカで現実に起きている悲劇を日本で起こさないためにも、ロフタスの言う「たとえ一片の記憶であっても、記憶を字義通りの事実だとする考え方を疑ってみる健全な懐疑精神」を持つことが、とても重要なことになるだろう。
