MJ-12文書


伝説 1984年12月11日、アメリカ・ロサンゼルスのTVプロデューサーであるジェイム・シャンデラのもとに、匿名の人物から見知らぬ未現像の35ミリ・フィルムが送られてきた。

不思議に思ったシャンデラがそのフィルムを現像してみると、なんとそこにはアメリカ政府の機密文書らしきものが映っていた。

詳しく見てみると、それは初代CIA長官のロスコー・ヒレンケッターからアイゼンハワー大統領への申し送り文書と思われるもので、1947年に起きたロズウェル事件をキッカケにして発足した、アメリカ大統領直属のUFO問題を専門に扱う秘密機関
「MJ-12」(マジェスティック12)について書かれていたものだった。

この秘密機関について書かれていた『MJ-12文書』によると、同機関には12名の軍人や科学者などの要人がメンバーに名を連ねており、彼らは大統領直属のUFO問題専門の検討委員として、「MJ-12作戦」という秘密計画を遂行してきたという。

事の重大さを知ったシャンデラは、友人でUFO研究家でもあったウィリアム(ビル)・ムーアにこの文書のことを話し、ムーアは同じくUFO研究家で核物理学者でもあったスタントン・フリードマンを誘い、三人でこの文書の真偽を確かめることにした。

すると調査を開始して間もなく、ニュージーランドから差出人不明の謎の手紙が届き、その手紙にはワシントンDCの国立公文書館へ行くように書かれてあった。

ムーアとシャンデラは、その謎の手紙の指示に従い1985年7月に公文書館に向かうと、機密が解除された数百箱の書類の中から、アイゼンハワー大統領の補佐官ロバート・カトラーによる、1954年7月14日付けの覚え書きを発見した。

この覚え書きには、「MJ-12特別研究プロジェクトの概要説明」を、「7月16日に予定されているホワイトハウスでの会議で行う」ことが書かれていた。これは、シャンデラのもとに送られた文書とは別に、秘密機関「MJ-12」の存在を示す資料であり、機密が解除された後に国立公文書館に保管されていたことから、同文書に記されている内容とMJ-12の存在は紛れもない事実であることを示していた。

十分な確証が得られたと考えた彼らは、1987年5月29日にMJ-12文書を公表した。文書は話題となり、TVや新聞でも取り上げられ、アメリカ政府による極秘のUFO隠蔽工作が白日の下に晒されたのである。

 


 

謎解き 言うまでもないが、文書が公表されたことと、その文書自体の真偽は別の問題である。もしこの「MJ-文書」が本物だとしたら、歴史的な大スキャンダルだ。

しかし、公表当時はTVや本などで紹介されて話題を呼んだわりに、この伝説は歴史的な大スキャンダルとはなっていない。TVでは、せいぜいバラエティ番組の中で、「戦慄の超真相!!」として紹介される程度である。

実際のところ、真相はどうなっているのだろうか?
以下で詳しくみてみることにしよう。

 

これが「極秘」のMJ-12文書

まず始めに、「MJ-12」(マジェスティック12)という名が初めて世に出てきたのは1981年2月のことである。アメリカのカートランド空軍基地で特別調査局(AFOSI)の任務に就いていたリチャード・ドーティ(※注1)が、後にMJ-12文書を公表することになるウィリアム・ムーアに「アクエリアス文書」(アメリカ政府とUFOとの繋がりを示す文書)を見せた際、同文書の中で「MJ-12」(マジェスティック12)について言及されていたのだ。

だが、ドーティが見せたという「アクエリアス文書」は、空軍の特別調査局(AFOSI)による調査によって、偽造された文書であることが判明している。(後にムーアが、この文書を作成したことを認めた)
つまり「MJ-12」(マジェスティック12)は、その本格的な登場の前に一度、偽の文書の中に登場していたのである。

【※注1】 ムーアによれば、ドーティは「高い地位にある軍事情報機関員」であるとされているが、実際は空軍の下っ端の下士官にすぎない。


さて以上の経緯を知っていただいたうえで、まずは基本的なこととして、「MJ-12文書」とはどんな文書で、どんなことが書いてあるのか、それを紹介することから始めよう。

以下は、アメリカのUFO研究団体「NICAP」の元副会長であったリチャード・ハリスン・ホールの著書『UNINVITED GUESTS』(Aurora Press)に掲載されているMJ-12文書の実物のコピーである。
日本語訳は、『MJ-12の謎と第18格納庫の秘密』ティモシー・グリーン【著】(二見書房)に掲載されている南山宏氏の訳を引用、参考にさせていただいた。

 

 


 

                                正本第一通

   概況説明書: マジェスティック12作戦
   ドワイト・D・アイゼンハワー次期大統領宛(マル秘)
   1952年11月18日付け

警告: これは合衆国の安全保障に必要不可欠な区分済み情報をおさめた最高機密=マル秘である。本文書内容の閲読は、マジェスティック-12秘密情報使用許可を有する者にのみ限定される。いかなる形の複写行為も、手書き、機械を問わずメモすることを厳禁する。
                              
                            T52条項免除 (E)

 


 

 


 

                               正本第一通

件名: アイゼンハワー次期大統領のためのマジェスティッ
     ク-12作戦に関する予備備的概況説明

書類作成  1952年11月18日

説明担当官: ロスコー・H・ヒレンケッター将軍(MJ-1)

注意: この文書は、あくまでも予備的な概況説明のために作成された。今後予定される全作戦概況説明の予備文書とお考えいただきたい。

* * * * * *

マジェスティック-12作戦は、アメリカ合衆国大統領にのみ直接責任を負う極秘研究開発/情報作戦である。本プロジェクトの作戦行動は、マジェスティック-12(マジック-12)委員会の統制下で遂行されるものとする。当委員会はヴァネバー・ブッシュ博士とジェイムズ・フォレスタル国防長官の勧告に基づき、1947年9月24日付けのトルーマン大統領の特別機密行政命令によって設置された。(添付書類“A”を参照) マジェスティック-12委員会の指名メンバーは次のとおり :

ロスコー・H・ヒレンケッター提督
ヴァネバー・ブッシュ博士
ジェイムズ・V・フォレスタル国防長官
ネイサン・F・トワイニング将軍
ホイト・S・ヴァンデンバーグ将軍
デトレフ・ブロンク博士
ジェローム・ハンセイカー博士
シドニー・W・サワーズ氏
ゴードン・グレイ氏
ドナルド・メンゼル博士
ロバート・M・モンタギュー将軍
ロイド・V・バークナー博士

1949年5月22日のフォレスタル国防長官の死去にともない、1950年8月1日まで欠員が生じたが、同日付でウォルター・B・スミス将軍が後任として常任委員に任命された。
                                                        T52条項免除 (E)


 

 


 

                         正本第一通

1947年6月24日、民間人パイロットがワシントン州カスケード山脈上空を飛行中、高速度で編隊飛行する9機の円盤型物体を目撃した。こうした物体の目撃事件はこれが最初ではないが、マスコミが大々的に取り上げたのは、この事件が初めてである。以後続々と、おびただしい数にのぼる同様物体の目撃事件が報告された。報告を寄せた者の多くは、きわめて信頼のおける軍人、民間人だった。こうした報告の結果、国防上の観点から、軍のさまざまな機関がそれぞれ独自に、この物体の性質と目的を確かめるべく努力した。多数の目撃者を事情聴取しただけではなく、失敗には終わったものの、円盤出現の報を受けるたびに、飛行中の円盤を航空機で追跡する試みも何度か行われた。ときには、一般大衆がパニックに近い反応を示すまでになった。

こうした努力にもかかわらず、これらの物体の実体は杳として不明であったが、やがて、ある牧場主から通報があり、ロズウェル陸軍航空基地(現ウォーカー・フィールド基地)の北西約75マイルの地点にあたるニューメキシコ州内の僻地に、1機の円盤が墜落したことが判明した。

1947年7月7日、科学的研究のため、この物体の残骸を確実に回収すべく、秘密作戦が開始された。この作戦の過程で円盤が爆発する以前に、機内から4体の人間に似た生物が脱出したらしいことが、空中偵察により判明した。この生物たちは、残骸墜落地点の2マイル東方に落下していた。4人とも死亡しており、死体が発見されるまでに一週間ほどかかったため、肉食獣に食われ、風雨にさらされた結果、損傷がはなはだしかった。特別科学チームが研究のため死体移送の任にあたった。(添付書類“C”を参照) また機体の残骸も分散して各地へ移送された。(添付書類“B”を参照) 同地域の民間人・軍人の目撃者には厳重な緘口令がしかれ、新聞記者に対しては、物体は誤誘導された気象観測気球だったという、もっともらしい虚偽の発表が行われた。
                                                      T52条項免除 (E)

 



                          正本第一通

大統領の直接命令に従って、トワイニング将軍とブッシュ博士によって秘かに分析の努力が続けられた結果、問題の円盤は短距離用偵察機である可能性が最も高いという暫定的合意が出された(1947年9月19日)。この結論はもっぱら、機体の小ささと糧食らしきものが積み込まれていなかったという事実に基づいている。(添付書類“D”を参照) 搭乗員の4死体に関しても、ブロンク博士の手で、これと同様の分析がとり行われた。同グループが提出した暫定的結論(1947年11月30日)では、この生物たちは外見上は人間に似ているが、彼らの進化を司る生物学的進化過程は、ホモ・サピエンスにおいて観察・仮定されるそれと、まったく異なるらしいとのことである。ブロンク博士の研究チームは、協議の結果もっと明確な名称ができるまで、この生物の通称として、“地球外生物学的存在”すなわち“EBEs”という名称を採用することを提案した。

こうした航空機が、地球上のいかなる国にも起源を有するものでないことは事実上確実なので、もっぱら考察の対象となったのは、航空機がどこから、どうやって地球に飛来したかという問題である。火星は過去も現在も有力な候補地とされているが、科学者のなかには、メンゼル博士をはじめとして、この研究対象となっている生物は別の太陽系から来たと考える者もいる。

残骸の中から、一種の文字とおぼしきものが大量に発見された。これを解読すべく、さまざまな試みがなされたが、おおむね失敗に帰している。(添付書類“E”を参照) 同様に、推進方式および、内部動力源のエネルギー伝達方式の原理や仕組みを解明する努力も不成功に終わった。こうした方面の研究が大いに難航しているのは、翼、プロペラ、ジェット機関その他、通常の推進・誘導方式に使われる装置らしきものが全く存在しないうえ、金属製電線や真空管、またはこれに相当するエレクトロニクス部品と思われるものが一切見つからないためである。(添付書類“F”を参照) おそらく推進装置は、墜落の原因となった爆発により完全に破壊されたものと思われる。
                                                       T52条項免除 (E)



                          正本第一通

1947年12月、こうした航空機と飛行特性、目的に関する追加情報を可能なかぎり多く集める必要から、合衆国空軍プロジェクト・サインなる計画が開始された。機密保持のため、サインとマジェスティック-12の連絡担当者は、空軍資材司令部情報課の2名に限定された。両名の任務は、正式のルートを通じてある種の情報を交換することである。1948年12月、サインはプロジェクト・グラッジへと発展した。同作戦は、目下ブルーブックというコードネームで遂行され、連絡担当には、同計画の指揮をとる空軍士官があたっている。

1950年12月6日、テキサス・メキシコ国境間にあるエルインディオ=ゲレロ地域で、おそらく同種の起源を有すると思われる第二の物体が、大気圏内に長い軌跡を残して高速度で地面に激突した。捜索隊が到着するころには、すでに物体の残骸は燃え尽きて、ほとんど完全に灰になっていた。回収できた資材は、研究のため、ニューメキシコ州サンディアにある原子力委員会の施設まで移送された。

これらの訪問者の動機と最終的意図がまったく不明であることは、国家安全保障上の観点から依然として重大問題である。しかも、こうした航空機に対する監視活動が、本年5月から秋にかけて激増した事実は、何らかの新展開がさし迫っているのではないか、との懸念をいちじるしく高めている。以上の理由に加え、国際関係と科学技術上の明らかな諸問題、ならびにいかなる犠牲を払っても大衆のパニックを回避するという究極的課題にかんがみ、マジェスティック-12委員会は、新政権下においても厳格な機密保持上の予防措置を中断することなく継続するべきだとの見解を、全員一致で支持する。同時に、事態の公表を迫られた場合に備え、非常事態プランMJ-1949-04P/78(最高機密=マル秘)を、従来どおり維持すべきと考える。(添付書類“G”を参照)
                                                        T52条項免除 (E)

 


 

 



                      正本第一通

          添付書類一覧

添付書類“A”・・・・・・特別機密行政命令 
              No. 092447(TS/EO)
添付書類“B”・・・・・・マジェスティック-12作戦
              現状報告書
         No.1・パートA 1947年11月30日付
               (TS-MAJIC/EO)
添付書類“C”・・・・・・マジェスティック-12作戦
              現状報告書
          No.1・パートB 1947年11月30付
               (TS-MAJIC/EO)
添付書類“D”・・・・・・マジェスティック-12作戦
              予備分析報告書
               1947年9月19日付
               (TS-MAJIC/EO)
添付書類“E”・・・・・・マジェスティック-12作戦
              ブルーチーム報告書
               No.5 1952年6月30日付
               (TS-MAJIC/EO)
添付書類“F”・・・・・・マジェスティック-12作戦
              現状報告書
               No.2 1948年1月31日付
               (TS-MAJIC/EO)
添付書類“G”・・・・・・マジェスティック-12作戦
              非常事態プラン
     MJ―1949―04P/78 1949年1月31日付
               (TS-MAJIC/EO)
添付書類“H”・・・・・・マジェスティック-12作戦 
              地図、写真(抜粋)
               (TS-MAJIC/EO)
                    
                    T52条項免除 (E)

 


 

 



                        正本第一通

             添付書類“A”

 


 

 



                     1947年9月24日付

国防長官宛の覚え書き

フォレスタル国防長官殿
  過日、貴殿と行った本件に関する協議に基づき、貴殿の任務をあたうかぎり迅速かつ慎重に遂行する権限を、貴殿に授与する。今後本件は“マジェスティック-12作戦”とのみ呼称することとする。

 将来、本件の最終的処理に関する問題が生じる場合、貴殿とブッシュ博士、中央情報局長官の適切な協議に従って、もっぱら大統領府が単独で決定を下すべきというのが、当方の変わらぬ見解である。

                  ハリー・トルーマン(署名)

 


 

以下は伝説でも紹介したが、公文書館から発見されたというアイゼンハワー大統領の補佐官ロバート・カトラーによる、1954年7月14日付けの覚え書きだと称する文書。いわゆる「カトラー=トワイニング・メモ」(通称「カトラー文書」)である。

 

 

【画像引用元】
『矢追純一のUFO大全』 矢追純一【著】 (リヨン社) P.83



                      1954年7月14日付

トワイニング将軍宛の覚え書き
件名: 国家安全保障会議/MJ-12特別研究計画

 MJ-12SSP(特別研究計画)概況説明を、先に定めた日程を変えて、すでに7月16日に予定されるホワイトハウスでの会合時に行うよう、大統領閣下が決定された。さらに細部の取り決めについては、貴殿が来訪された折りに説明させていただきたく。これに合わせて、貴殿のスケジュールを変更されたい。

 上記の取り決め変更に関して、貴殿が快く承知くださるものと了解する。

                    ロバート・カトラー
                      大統領特別補佐官


 

以上が、『MJ-12文書』と、それを補強する証拠だとされる『カトラー文書』の内容である。以下では、これらの内容をよく見たうえで、これらの文書類の検証を行ってみることにしよう。

 

間違いだらけの「極秘」文書

まずはMJ-12文書から。
この文書は公表当初より様々な方面から検証が行われてきた。その結果、実に多くの矛盾点や間違いが見つかっている。詳しく紹介しよう。


・「01 August.」や「07 July.」など、日付の一桁目に「0」を付けているが実際に政府文書でこのように表記しているものは他にない。

・また「06 December. 1950」や「30 November. 1947」など月の後にピリオドを入れてあるが、この記法は間違いで、本物なら「6 December 1950.」や「30 November 1947.」というように、年の後にピリオドを入れていなければならない。

・ロスコー・ヒレンケッターの階級名が、実際は海軍少将(Radm)であったにもかかわらず、MJ-12文書では海軍大将(Adm)と間違って表記されている。

・同じくヒレンケッターのサインについても間違いがあり、他の文書では必ず「R.H.Hillenkoetter」と書かれてあるが、MJ-12文書では「Roscoe H. Hillenkoetter」と書かれている。

・使用されたタイプライターは1940代当時には存在しなかったスミス・コロナ・モデルで、このモデルが初めて製造されたのは1963年である。

・コピーを禁ずる警告文に、当時、実在していた文書には使われていない言葉遣いが使用されている。

・本物の極秘文書の場合は、ページが欠けていないことを保証するため、「Page __ of __ pages」(全部で何ページあるうちの何ページ目にあたるのか)ということが各ページに記入されていなければならないが、『MJ-12文書』にはどこにも書かれていない。

・「Roswell Army Air Field」(ロズウェル陸軍飛行場)を「Roswell Army Air Base」(ロズウェル陸軍航空基地)、「Walker Air Force Base」(ウォーカー空軍基地)を「Walker Field」(ウォーカー飛行場)と、間違って書いている。

・『MJ-12文書』では、「プレス」(press)の代わりに「メディア」(media)、「異星人:エイリアン」(alien)の代わりに「地球外生命体」 (extra-terrestrial)という単語を使っているが、これらの用語が一般化して使われるようになったのは1960年代以降のことである。

・大統領命令の番号は初代からの通し番号となっており、その番号を見ればどの大統領の時代に出されたものかすぐにわかるようになっているが、『MJ-12文書』の場合、この番号が桁違いに大きすぎて、ありえない番号となっている。(たとえば、20年以上の後の1972年3月6日付けのニクソン大統領の行政命令の番号は「11652」であるが、MJ-12文書では「92447」となっている。本来ならこの10分の1以下の番号でなければならない)


もう既に、これだけでも間違いや矛盾が多すぎてボロボロだが、この文書が確実に偽物であることを示す証拠を、アメリカの懐疑論者で、「UFO界のシャーロック・ホームズ」とも評されるフィリップ・J・クラスが発見している。

クラスは、MJ-12文書の最後に書かれているトルーマン大統領のサインが、1947年10月1日付けでヴァネバー・ブッシュ博士に宛てた手紙の中に書かれている同大統領のサインと、まったく同じであることを突き止めたのである。

つまりMJ-12文書に書かれているサインは、ブッシュ博士に宛てた手紙に書かれているサインをコピーしたものだったのである。(サインの詳細な比較は、日本の研究家で懐疑論者でもある志水一夫氏の著書『UFOの嘘』(データハウス)の中で行われているので、より深く知りたい方はそちらをご覧いただきたい)

 

カトラー文書

続いては、MJ-12文書を補強する文書として首都ワシントンの公文書館から発見された、「カトラー文書」についてである。この文書についても「NARA」(National Archives and Records Administration/国立公文書館)を含む各方面から調査が行われた結果、MJ-12文書と同じく矛盾点や間違いが発見された。

以下に主なものを示そう。


・カトラー文書には、「機密 部外秘情報」というラベルが貼られていたが、この機密区分が実際に国家安全保障会議(NSC)で使用されはじめるのは、約20年後のニクソン政権時代以降である。またアイゼンハワー大統領図書館によって、この機密区分がアイゼンハワー政権の間全く使用されなかったことも確認されている。

・カトラーは、国家安全保障会議の在任中には鷹の透かし模様が入った薄い半透明の用紙を使用していたが、この文書には、その透かし模様が入っていない。

・「トップ・シークレット」の登録番号が欠けている。

・文書によれば、1954年7月16日に国家安全保障会議が開催されているはずだが、実際はこの日に同会議は開催されておらず、「Official Meeting Minute Files」の記録にも「MJ-12」や「UFO」に関する記録は全く残されていなかった。

・ロバート・カトラーは、この文書を書いたとされる1954年7月14日にはアメリカに居なかった。彼は、同年の7月3日から15日までの間、ヨーロッパと北アフリカを訪問していたのである。


これらの矛盾点や間違いから、このカトラー文書は何者かが公文書館に紛れ込ませた偽書である可能性が高いと考えられている。

では、一体誰が犯人なのか?
この犯人はカトラー文書を公文書館に紛れ込ませただけでなく、この文書を作成し、さらにはMJ-12文書も作成したとも考えられるが、可能性が高いとみられているのは伝説でも紹介したウィリアム・ムーアである。(※注2)

ムーアは「MJ-12文書」や「カトラー文書」の言いだしっぺの一人であり、この伝説について詳しく調査しているフィリップ・J・クラスによれば、MJ-12文書に用いられていた「月の後ろに付いていた余分なコンマ」は、ムーアがクラスに送った全ての手紙に共通して見られる特徴だという。また、MJ-12文書では日の一桁目に「0」が付いていたが、ムーアも同じように「0」を付けていた。

他にも、上でも触れた「アクエリアス文書」を偽造したのはムーアだったが、同文書とMJ-12文書では、文法上の同じ間違いが見られる。

さらにMJ-12文書では、ロズウェル事件について言及され、円盤が墜落したことや異星人の死体が回収されたことが事実であると書かれているが、ムーアは70年代後半からこの30年近く忘れ去られていた事件を掘り起こし、円盤墜落や異星人の死体回収について本を書いているのだ。

つまりMJ-12文書や、それを補強するカトラー文書が本物であると認められれば、これらの文書を公表し、さらに中で言及されているロズウェル事件についても再発掘して売り出していたムーアにとっては、金と名声を同時に手に入れることができるというわけである。

【※注2】 この件に関して最も疑わしく、文書を偽造した可能性が高いと言われているのはウィリアム・ムーアだが、本当の黒幕は「アクエリアス文書」の際にも登場するリチャード・ドーティではないかという指摘もある。興味のある方は『Spファイル vol.3』にて懐疑論者のテンカマ氏が書いておられる「解読:ロズウェル事件2」をご覧いただきたい。

 

もう一つのMJ-12

さて、ここまでは「MJ-12」(マジェスティック12)について詳しく見てきたが、実はこのネタにはもうひとつ別の「MJ-12」が存在する。それが「マジョリティー12」と呼ばれるもので、先行する「マジェスティック12」を否定するかたちで登場したネタである。

言いだしっぺは、アメリカのミルトン・ウィリアム(ビル)・クーパーという元海軍軍曹で、彼が軍に所属していた頃に、上官から「マジョリティー作戦」という名の機密文書を見せられたという。この文書によれば、「マジェスティック12」は本物の秘密委員会である「マジョリティー12」を隠蔽するためのニセの名称であり、当然『MJ-12文書』も偽物であるという。

支持者はクーパーの他に、UFO研究家のジョン・リアーやウィリアム・イングリッシュらがおり、一時期は「マジェスティック12」支持派のシャンデラ、ムーア、フリードマンと、「マジョリティー12」支持派のクーパー、リアー、イングリッシュらが激しく対立することもあった。

しかし偽書であったとはいえ、一応は物的証拠が存在した「マジェスティック12」に比べ、「マジョリティー12」のほうは証拠となるものがクーパーによる証言しかない。
しかも、その証言内容にも矛盾点や間違いがあり、真面目なUFO研究家の間ではクーパーらが主張する「マジョリティー12」はほとんど相手にされていない状態である。

また当初はクーパーの証言を支持していたリアーとイングリッシュは、後にクーパーの話はホラ話であるとして、彼と絶交している。そのバリバリの陰謀論+陳腐なネタのせいで、こうなることはある意味必然だったのかもしれないが、UFO界だけでなく、数少ない仲間からも見捨てられてしまうとは哀れな御仁である。

ちなみに上では、「マジョリティー12」はUFO研究家の間で相手にされていないと書いたが、証拠であった『MJ-12文書』が、懐疑論者、UFO研究家、国立公文書館(NARA)、空軍特別調査局(AFOSI)、連邦捜査局(FBI)などの調査の結果、偽書であることが判明した「マジェスティック12」のほうも、現在では全く相手にされていない。

もし、この肯定派からも相手にされていないネタについて、積極的に本物であるかのように宣伝している本や自称研究家を見かけたら、誠実さや調査力を大いに疑ったほうがいいだろう。

『宇宙人解剖フィルム』と同じく、この『MJ-12文書』は、そういった最低限の誠実さや調査力を見分けるネタとして最適である。