死者が押す死への上り坂「サンアントニオの踏切」

伝説

アメリカのテキサス州サンアントニオに、子どもの霊によって怪奇な現象が続発する呪われた踏切が存在する。

サンアントニオの踏切現場

サンアントニオの踏切現場

ことの始まりは1938年。サンアントニオで一台のスクールバスが子どもたちを乗せ、学校へと向かっていた。ところがその途中、踏切にさしかかったところでバスが故障。立ち往生してしまう。

すると、そこへ運悪く列車がやってきてしまった。車内にいた子どもたちは逃げる間もなく、バスごと列車と衝突。無残にも彼らは全員死亡し、その遺体はバラバラになって踏切の付近一帯に散乱したという。

怪奇な現象が報告されるようになるのはそれからだ。この事故現場となった踏切付近では、踏切の手前で車のギアをニュートラルにし、エンジンを切ってブレーキペダルを離すと、上り坂にもかかわらず、まるで何者かに押されているかのように踏切へ向かって車が勝手に上り出すのである。

しかも踏切を越えたあとに車外に出て、車の後部表面にパウダーをかけてみると、奇妙なことに指紋が浮き上がってくるのだ。この指紋は坂の手前できれいに車のボディを拭き取っても現れることから、車の所有者の指紋ということはあり得ない。

さらに踏切付近では、他に誰もいないにもかかわらず、悲鳴のような声が聞こえてくるとの報告もある。

これらの怪奇な現象は現在も報告が続いている。アメリカ中から多くの者が訪れ、体験しているのだ。全部嘘ということはありえず、その原因は踏切事故で亡くなった子どもたちの霊の仕業だと考えられている。


Photo by Chasing Shadows「Legend of the Haunted Railroad Tracks」May 8, 2011 (http://www.sacurrent.com/Blogs/archives/2011/05/08/legend-of-the-haunted-railroad-tracks)

謎解き

この怪奇話が語られる際には、踏切事故は地元のサンアントニオ新聞に確かに載っていて、踏切付近の通りには、それぞれ「シンディ・スー」「ボビー・アレン」「ローラ・リー」というように、事故の犠牲者となった子どもたちの名前まで付けられている、という話もセットで語られることが多い。

ちゃんと由来があるのだよ、ということだろうか。

ところがよく調べてみると、どうも違う真相がわかってきた。報告や語られる話のすべてが嘘ではないものの、多くの勘違いが入り交じっていたのである。

サンアントニオの現場で事故は起きていない

心霊スポットなどの調査で重要なことは、そもそもいわくとして語られる事故や事件などが本当に起きているのか、という点の確認である。

今回の件では、ディスカバリーチャンネルの「都市伝説‐ネット画像のウソ・ホント」という検証番組にて、1938年のサンアントニオ新聞の紙面が紹介され、踏切事故の話が載っていることは確認された。

しかし話はここで終わらない。紙面をよく見ると、事故現場となったのはサンアントニオではなく、北西に約1800キロも離れたユタ州のソルトレイクシティであることがわかったのだ。

より具体的には、ソルトレイクシティの南に位置するミッドヴェールという町で、この町のジョーダン高校に通う学生を乗せたスクールバスが、1938年12月1日の午前8時43分に事故を起こした。

当時は大雪と濃い霧の影響で視界が非常に悪く、列車の運転士は踏切で立ち往生するバスに気づかず、そのまま衝突してしまった。

この事故でバスに乗っていた学生23人と運転手が死亡。大惨事を伝えるニュースは瞬く間にアメリカ全土へと広がっていった。サンアントニオ新聞に載った記事は、この全国に広がるニュースの一部だったのだ。

ところがそれから十数年後。1950年代になると、どこかのおっちょこちょいがこの事件はサンアントニオで起きたものだと勘違いし、その話が少しずつ広がりをみせてしまった。そして1970年代には地元の立派な怪談話として、すっかり定着してしまったのである。

ちなみに地元の郷土史家、ドーシア・ウィリアムズの調査によれば、念のためサンアントニオの現場で踏切事故が起きたことがあるか、鉄道会社や警察に問い合わせて調べてもらったが、やはりそのような記録はなかったという。

上り坂に見えるのは錯視

現場で子どもが亡くなる事故がなかったとはいえ、怪奇な現象は複数の人たちによって報告されている。それらはどのような原因なのだろうか?

まず上り坂を車が勝手に上っていく現象については、これまで測量士による複数の調査が行われた結果、車が動き出す踏切の手前20メートルの地点から見て、踏切の地点は60センチほど低いことが明らかにされている。

踏切現場の測量時の様子

踏切現場の測量時の様子

つまり踏切に向かって上っているように見えた坂は、実は下り坂だったのである。このような錯視が起きる坂は、一般に「おばけ坂」「ミステリー坂」と呼ばれ、日本でも、群馬県、香川県、岩手県、鹿児島県などでこのような坂が知られている。

一方、錯視については学術的に「縦断勾配錯視」(じゅうだんこうばいさくし)と呼ばれる。今回のサンアントニオの事例の場合、下り坂が非常に緩やかであることや、踏切の直前に窪みがあり、そのあと少しだけ上り坂になっていること、さらには窪み付近で偽の地平線が知覚されることなどにより、縦断勾配錯視が起きるのだと考えられている。


Photo by Virginia and Daniel Barnett「The San Antonio Ghost Children」『The Newsletter of The North Texas Skeptics』(Volume 17 Number 11)

その他の怪奇現象

次に指紋。【伝説】では、事前に拭き取ってもパウダーを振りかけると指紋が浮かび上がってくるとされる。消したはずの指紋が現れるのだから、幽霊の仕業だろうという。

ところが指紋というのは対象物の材質によるものの、今回のように塗装が施された車のボディの場合、特殊な洗剤で拭き取らない限り簡単には消えない。見た目はきれいに拭き取ってあるように見えても、実際は消えずに残っており、そこにパウダーなどを振りかけると元々付いていた指紋が浮かび上がってくる。

前出の「都市伝説‐ネット画像のウソ・ホント」では、その浮かび上がってきた指紋を専門家に鑑定してもらい、車を運転していた本人のものであることを突き止めている。

その他はどうだろうか。悲鳴のような声が聞こえる件については、「オァー、オァー、オァー」というような声だとされる。実は、この声の正体は鳥だった。現場の踏切からそう遠くない場所にクジャクを飼っている農場があり、悲鳴とされているのは、ここのクジャクの鳴き声だったのである。

最後は通りに付けられた犠牲者の名前とされるもの。確かに現場の通りには「シンディ・スー」「ボビー・アレン」「ローラ・リー」といった名前の通りが見られる。しかし先述のとおり、この現場で子どもの犠牲者は出ていない。

ではこの通りの名前は何なのか?実はこの名前は、サンアントニオの現場一帯をおさめる地主が、自分のかわいがっている孫の名前を付けたものだったのである。

現場で数々の怪奇現象を起こす犠牲者の子どもたちの名前だとすると、おどろおどろしい感じがするけれど、実は無関係のおじいちゃんがかわいいの孫のために付けた名前だというのだから、それはそれでほのぼのとするいいオチではないだろうか。

【参考資料】

  • 對梨成一「縦断勾配錯視」『心理学研究』(2008年 第79巻 第2号 pp.125-133)
  • 須藤武雄『証拠は語る』(日本文芸社、2000年)
  • 塚本宇兵『指紋は語る』(PHP研究所、2003年)
  • 「都市伝説‐ネット画像のウソ・ホント~幽霊列車~」(ディスカバリーチャンネル、2010年)
  • 「ミステリー・ゾーン~幽霊を見るために~」(ディスカバリーチャンネル、2006年)
  • Miracle Hunters「The Ghost Tracks of San Antonio」(Discovery Channel 2004)
  • Virginia and Daniel Barnett「The San Antonio Ghost Children」『The Newsletter of The North Texas Skeptics』(Volume 17 Number 11)
  • 「Transport: Awfullest Thing」『TIME』(Dec. 12, 1938)
  • Kris Baker「Ghost Children and the Train Tracks」(http://www.bellaonline.com/articles/art19888.asp)
レクタングル広告(大)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存

フォローする