水晶ドクロ


伝説 1927年、探検家のフレデリック・アルバート・ミッチェル・ヘッジスと養女のアンナは、マヤ文明の遺跡を発掘していた。ちょうどアンナの17歳の誕生日、ルバアンタンという滅び去った町の廃墟にあった祭壇の下で、何か光り輝くものが埋まっているのをアンナが発見した。掘り起こしてみると、それは水晶で作られた人間の頭蓋骨だった。

ヘッジス・スカルアンナは1970年代後半、この水晶ドクロを「ヒューレッド・パッカード社」へ分析を依頼。結果は、頭蓋骨と下アゴは1つの同じ水晶から作られており、工具を使った形跡は全く見つからなかった。同社の社内誌『メジャー』では、工具なしでこの水晶ドクロを作った場合、300年はかかると見積もられた。
まさに、オーパーツ(場違いな人工物)と呼ぶにふさわしいものである。

さらにアメリカ先住民の伝説によれは、世界には全部で13個の水晶ドクロが存在し、それらが全て集まったとき、
「人類の起源、目的、運命に関する情報、そして生命と人類の謎への解答」を知ることができ、世界は救われるのだという。

アンナの水晶ドクロも、この伝説の13個のドクロのうちの1つと言われており、近い将来すべての水晶ドクロが集められ、人類が大いなる叡智を手に入れる日もそう遠くはない。


【写真引用元】
『Ooparts』
http://byerly.org/whatifo.htm

 


 

謎解き アンナ・ミッチェル・ヘッジスの水晶ドクロといえば、現在確認されている水晶ドクロの中でも、群を抜いて精巧であることで有名だ。

しかし、伝説で言われている肝心の発見談というのが、実はかなり怪しいのだ。
以下で詳しくみてみよう。

 

疑わしい発見談

まず根本的なことだが、アンナは発掘の現場に本当に居たのか? という疑問がある。というのも、ヘッジス一行が探検の際に撮った写真がいくつも残っているのだが、その中にアンナが写っている写真が一枚もないのだ。さらに、大発見であるはずの水晶ドクロの写真も一枚もない。

また、探検の主要メンバーのひとりであったトーマス・ガン博士が、1931年に『マヤの歴史』という本を出版しているが、その中にアンナ・ミッチェル・ヘッジスの名前はもちろん、水晶ドクロに関する記述も一切ない。

さらに、ルバアンタンで発掘調査を行い、この遺跡の全貌を解説した本を出版したノーマン・ハモンド博士も、「あらゆる文書記録を見るかぎり、歴然としているのですが、彼女がルバアンタン現地に行ったというのは絶対にありえないことなのです」と言い切っている。

極めつけは、アンナが水晶ドクロを発見したのは1927年、自分の17歳の誕生日の当日だと語っているが、ヘッジス一行は1926年にイギリスに帰国していたことがわかっているのだ。17歳の誕生日にはイギリスに戻っていたというのに、ルバアンタンでどうやって「発見」したというのだろう。

 

水晶ドクロの入手先

アンナが語っている発見談が、極めて疑わしいものだということは上で紹介したとおりだが、水晶ドクロが実在していることは確かである。

では、ルバアンタンで発見していないとすれば、水晶ドクロは一体どこで手に入れたのだろうか?

これについて、超常現象調査の専門家であるジョー・ニッケルが詳しく調べている。
ニッケルによれば、水晶ドクロの来歴は次のようであるという。

1943年、シドニー・バーニーという美術商が、問題の水晶ドクロをロンドンのサザビーズに競売に出した。しかし彼は、希望していた価格では売れなかったので、自己落札して買い戻してしまった。その後、1944年にミッチェル・ヘッジスが400ポンドで水晶ドクロを買い取った。このことはロンドン美術館の記録にも残っており、アンナ自身も認めている。

しかし彼女によれば、「父が借金のカタとしてドクロを預けていたら売られそうになったので、慌てて買い戻した」のだという。

だが、この言い訳には無理がある。

なぜなら1936年に、大富豪だったミッチェル・ヘッジスの父親が死んで、莫大な財産を彼が譲り受けているからだ。その財産をほんのわずか使うだけで、「1944年よりもずっと前に」彼はバーニーから、水晶ドクロを取り戻すことができたはずだ。

 

分析結果

ここまで、発見談、入手先、と見てきたが、次は水晶ドクロに対して行われた分析について見ていこう。

伝説にも書いたとおり、70年代後半にヒューレッド・パッカード社が分析をしたことは事実である。しかし、他にもう一度「ヘッジス・スカル」は調べられたことがあるのだ。

1980年、アメリカのフランク・ドーランドが、アンナから6年契約で水晶ドクロを借り受け、これを実際に調べた。
このときの調査では「水晶ドクロの歯の部分の表面に機械を使って磨いた跡」が、はっきり残っていることが判明した。また、このときの調査にも参加し、実際に水晶ドクロの現物を調査したノーマン・ハモンドは「あのドクロの頭部とアゴの部分に開いているクギ穴は、明らかに金属ドリルを使って開けたものだ」と断言している。

もし「ヘッジス・スカル」が、アンナの言うとおりマヤ遺跡の祭壇の下で発見されたのなら、金属工具の跡があるというのは凄いことだろう。
しかし上で見てきたように、この肝心の発見談が極めて疑わしい・・・というかホラ話だというのは歴然としている。

フランク・ドーランドの推測では、「ヘッジス・スカル」はまず古代の職人たちによって―ドーランド自身は、バビロニアかエジプトの職人集団だと考えている―「大ざっぱに成形加工された」のだという。

その方法は、考古学でいうところの「押圧剥離」(おうあつはくり)によって、ドクロ形に彫り削り、その後、研磨を行うというものだったと彼は考えている。
そして、ずっと後の時代になって、下あごの部分が切り離されて、さらに彫り削られ、その結果この部分だけに機械的な研磨の跡がはっきりと残ることになった、と推測している。

ちなみに、オーパーツを扱った本などで「ヘッジス・スカル」が紹介されるときは、ヒューレッド・パッカード社の分析結果についてはよく書かれるが、フランク・ドーランドの分析や、ジョー・ニッケルの調査はまず載ることがない。謎をデッチ上げるつもりがないなら、ぜひ彼らの調査結果も載せてほしいものである。


【追記】 2005年4月9日に放送された「世界ふしぎ発見」の中で、ミッチェル・ヘッジスが発見した水晶ドクロとして、「ヘッジス・スカル」が紹介されていた。しかし、番組の中で紹介されていた映像は「ヘッジス・スカル」ではなく、実は以下で紹介する「ブリティッシュ・スカル」だった。

なぜ、違うドクロの映像を偽って流したのか? おそらく、「ヘッジス・スカル」があるカナダまで行く取材費をケチったのだと思う。番組は、これまでに「ブリティッシュ・スカル」のあるイギリスには何度も行っているので、その時ついでにドクロを撮影してきたのか、もしくは別の番組がたまたま撮影していた映像を流用したのだろう。どちらにせよ、セコイ演出で誤魔化したのは事実だ。

「どんな技術を使えば、これだけ精密なドクロを作り出すことができるのか?」ともっともらしいことを言いながら、紹介する映像に、19世紀に作られたニセモノであることがわかっている「ブリティッシュ・スカル」を使うあたりは、オカルトネタを扱うときの、この番組らしいトホホぶりがよく出ていた。(・・・とはいえ番組自体は好きだけど)

 

おまけ・その他の水晶ドクロ

最後に、おまけとして「ヘッジス・スカル」以外の水晶ドクロもご紹介しよう。
どれも、なかなかの個性派ぞろいだ。


E T・スカル

フロリダに住む、ホカ・ヴァンディーテンが所有。

ETスカル先鋭な頭蓋と大きな眼窩が、異星人を連想させるので「ET」と名づけられた。
伝説の13個の水晶ドクロのうちの1つと言われるが、入手先はロサンゼルスのディーラーである。

【写真引用元】
『Crystal Skulls -2』
http://www.crystalinks.com/ crystalskulls2.html

 

「マヤ・スカル」と「アメジスト・スカル」

「マヤ・スカル」はマヤの神官が所有していたという話から、この名で呼ばれている。「アメジスト・スカル」(紫水晶ドクロ)は紫色の石英を基に作られていることから、この名が付いた。紫色の原因は、不純物として鉄が含まれているため。1912年にグアテマラで発見されたという。
ただし、これら2つのドクロにまつわる「マヤの神官が所有」、「グアテマラで発見」などの話は証拠がなにもない。しかも1988年以降は行方がわからなくなっている。

 

ローズ・スカル

ローズ・スカル「ローズ・スカル」(バラ水晶ドクロ)は、ホンジュラスとグアテマラの境界の近くで発見されたという(証拠なし)。色がビンクなのは、不純物として鉄を含んでいるため(含有量によって、紫色からピンク色まで変化する)。
「ヘッジス・スカル」よりわずかに大きい。アゴは外れるようになっている。


【写真引用元】
『Crystal Skulls -2』
http://www.crystalinks.com/ crystalskulls2.html

 

マックス・スカル

マックス・スカル「マックス・スカル」は、テキサス州ヒューストン在住のジョアン・パークスが所有している。
ジョアンによれば、1973年にノルブ・チェンという自称ヒーラーと知り合い、1980年に彼が亡くなる際にドクロを譲り受けたという。発見場所は中米にあるグアテマラの墓らしい。
名前の由来だが、自分から「マックス」と
名乗った
という。ただしテレパシーで。
その強烈なキャラクターで人気の高いマックス君。実は私も
ファンである。もしテレパシーを使えたら、中米起源だと言っていたのに、なぜアメリカ名なのかと小一時間問い詰めてみたい。


【写真引用元】
『“MAX”. The Texas Crystal Skull』
http://www.v-j-enterprises.com/maxcs.html

 

シャ・ナ・ラー・スカル

シャ・ナ・ラー・スカル所有者は、サンフランシスコ在住のニック・ノセリノ。
「クリスタル・スカル国際協会理事長」という、もっともらしい肩書きを持っている。また自称超能力者でもあり、1959年にメキシコの山中で「心霊考古学」という意味不明な能力を駆使して「シャ・ナ・ラー」を見つけたという。
前出のマックス君によれば、ジョアン夫人に再三「コンタクトを取れ」と言っていた男とは、ニック・ノセリノのことだという。


【写真引用元】
『The Forbidden Zone』
http://www.tobew.com/main_html/X_gallery.htm

 

呪いのスカル

呪いのスカルアメリカのスミソニアン博物館所蔵。

実際の人間の頭蓋骨より大きく、内部は空洞。しかし重さは14キロもある。名前の由来は、前の所有者に度重なる不幸があり、結果的に自殺してしまったことからきている。スミソニアン博物館へは、その所有者の弁護士だった人物から寄贈された。ちなみに「スカルの目を覗き込むと不幸になる」と言われているが、このドクロを研究し、毎日、目を覗き込んでんでいる
ジェーン・ウォルシュ博士は「何も不吉なことは起こってないわ」とお気楽に答えている。1996年に行われた大英博物館の分析では、19世紀以降に作られたニセモノという結果が出た。


【写真引用元】
『The Forbidden Zone』
http://www.tobew.com/main_html/X_gallery.htm

 

パリ・スカル

パリ・スカル「パリ・スカル」は、パリ人類博物館に所蔵されている。
やや小ぶりで、高さは11センチ、重さは2.7キロ。下顎は外れない。頭の天辺から底まで、垂直な穴が開いているのが特徴。
1878年に、探検家のアルフォンス・ピナールという人物が博物館に寄贈した。

【追記】 パリ・スカルは2006年6月23日に開館したケ・ブランリ美術館に移された。2007年に行われた調査では表面に機械を使用した跡が判明。1867〜86年の間にドイツ南部の町でつくられた偽物という結論が出た。

ちなみにドイツ南部の町というのは、「宝石の町」として、また研磨技術の高さでも有名なイーダー・オーバーシュタインのこと。(下でも紹介している)
なぜこの町で1867〜86年の間に制作されたと考えられたかというと、ちょうどこの期間にキリストの磔像の土台として今回のパリ・スカルと同じようなものを、この町では専門的につくっていたのだ。

そして、パリ・スカルには上でも書いているように頭の天辺から底まで垂直な穴が開いているのが特徴だったが、この穴の用途は当時つくられた磔像の十字架部分を差し込んでいたと考えられるのだ。

穴があいているのは前から判明していたものの、ずっと理由は謎だった。しかし今回の調査でようやくその穴の意味がわかったことになる。


【写真引用元】
『Crystal Skulls -2』
http://www.crystalinks.com/ crystalskulls2.html

 

ブリティッシュ・スカル

ブリティッシッュ・スカル「ブリティッシュ・スカル」は、現在イギリスの大英博物館が所蔵している。


【写真引用元】
『www.OfSpiritandSoul.com』
http://www.ofspiritandsoul.com/skulls.html


伝説の13個のドクロのうちの1つと言われているが、1996年に大英博物館で行われた調査で、19世紀以降に作られたニセモノという分析結果が出た。
また、このドクロは1897年に、ジョン・エヴァンズという人物から大英博物館に売られたことがわかっている。それより前のことに関しては、スミソニアン博物館のジェーン・ウォルシュ博士が詳しく調査しているので少し紹介しよう。

彼女の調査によれば、元々の持ち主はユージン・ボバンという古美術収集家で、彼は1886年にドクロをニューヨークのオークションに出した。そしてその年の12月、ニューヨークの宝石店「ティファニー」の共同経営者だった、エリスという人物がドクロを買い取った。その後、「ティファニー」からジョン・エヴァンズがドクロ買い取り、それを大英博物館に売ったという。

ちなみにユージン・ボバンが水晶を入手した先は、ドイツのイーダー・オーバーシュタインという町が有力視されている。この町は中世以来、世界的に知られた石細工の中心地で、多くの水晶加工職人がいるのだ。(現在でもこの町では国際宝石展(INTERGEM)が毎年開催されている)

ただ、水晶ドクロを作るには、現代の技術をもってしても不可能だと言われることがある。しかし、ここで紹介したチャチなドクロより(マックス君ゴメン!)、ずっと精巧な水晶ドクロは、イーダル・オーベルシュタイン以外でも簡単に作れてしまう。
そして、これらは特別展示品などではなく、普通に売られている商品なのである。