伝説
歴史的に見てもありえない、高度なテクノロジーによってつくられたと思われる遺物が世界各地から発見されている。これら通称「オーパーツ」と呼ばれる遺物の中でも、とくに有名なものが「ピリ・レイスの地図」と呼ばれる古地図だ。
この古地図は1929年にトルコで発見されたもので、製作者はオスマン・トルコの提督ピリ・イブン・ハジ・メムド(「レイス」は提督の意味)。制作されたのは1513年。
アメリカの古地図研究家アーリントン・マレリーは、この古地図に興味を持ち、詳しく分析を行ってみた。すると分析を進めるうちに驚くべき事実に気が付いた。
地図の南端に見える陸地は、氷に覆われる以前の南極大陸の海岸線を示していたことがわかったのだ。しかも地図の海岸線は、エジプトのカイロ上空から撮影した衛星写真の地形と見事に一致していた。
この事実は後に、アメリカ・ニューハンプシャー州にあるキーン州立大学のチャールズ・ハプグッド教授によっても確認されている。
定説では南極大陸が発見されたのは1820年頃。地図を制作したピリ・レイスは一体どうやって発見前の南極大陸を知り得たのだろうか?(以下、謎解きに続く)
謎解き
ピリ・レイスの地図は、イギリスの作家グラハム・ハンコックの世界的ベストセラー『神々の指紋』の冒頭や、エーリッヒ・フォン・デニケンの著作などでも取り上げられていたことから、ご存知の方も多いかもしれない。
確かに、南極大陸の発見前にその姿が古地図に描かれていたとなれば、がぜん興味がわいてくる。一体、どうやって南極大陸を知り得たのか。
ただしこの疑問は、「本当に南極大陸が描かれている」ことが確認できた場合に考えるべきことだ。【伝説】ではそれが確認できたとされているものの、その話は本当なのだろうか。以下で実際に地図を参照しながら具体的に検証してみよう。
地図の検証
下にピリ・レイスの地図を用意した。まず大前提として、この地図がどのあたりを描いたものかという点から確認しておきたい。中央に描かれているのは大西洋である。右側に描かれているのはアフリカ大陸。左側に描かれているのは南米大陸。下に描かれているのが南極大陸だとされている海岸線だ。
前出のデニケンらによれば、この地図は「現代の地図と比較しても絶対的に正確」なのだという。ところが検証してみると、その話には到底納得できないことがわかった。どう見ても不正確な箇所が散見されるからだ。下で番号を振ってみたので確認してみよう。
- ここはキューバ島として描かれている。しかし大きさ、形、位置が全部違う。そもそも大陸の一部として描かれていること自体がおかしい。これはピリ・レイスの地図のもとになったコロンブスの地図の影響による。(コロンブスはキューバ島をアジア大陸の一部と考えていたため)
- イスパニョーラ島。形が違う。実際は左右に長い。
- プエルトリコ島。本来はイスパニョーラ島の下ではなく右に位置する。
- パナマ。これも実際は左右に伸びる。キューバ島ともつながっていない。
- 左側に見えるY字型の線をはじめとした複数の線がアマゾン川。実際は何本もなく、もっと長い。
- アンデス山脈。実際の発見はこの地図が描かれるよりも後であるため、大河の源流として山脈が想像されたと考えられる。ただし位置が違っていて、実際には南米大陸の西側(この地図でいえば左側)の海岸に沿うような形でアンデス山脈は描かれていなければならない。
- 南米大陸と南極大陸がつながっている。そのため本来、間にあるはずのマゼラン海峡とドレーク海峡が描かれていない。
南極大陸の正体
さて、上記のようにピリ・レイスの地図には不正確な描写がいくつも存在することがわかった。これは実際の南米大陸地図と見比べてもよくわかる。
ご覧のように、実際の南米大陸は南北に長い。対して左側のピリ・レイスの地図に描かれた部分を南米大陸だとしてしまうと、特に下半分の長さと海岸線の形がきわめて不正確ということになってしまう。
南極の一部は描いたのに、南米の下半分はいい加減に省略してしまったのだろうか? それは、あまりにもおかしな話だ。
そうではなく、下半分は後から入ってきた新情報によって余白に書き足されていったと考えた方が自然だ。実際、南米の東海岸が続きとして描かれていると考えれば、長さの不自然さはなくなる。また海岸線も、南極大陸の一部とされる部分を現在のアルゼンチンのあたりと考えれば、海に突き出た形はほぼ一致する。
ただ疑問があるとすれば、なぜ新しく書き直すなり、紙を足すなりしなかったのかということだろうか。
これには当時の事情が関係してくる。この地図に使われているのは「羊皮紙」と呼ばれる紙で、当時は貴族が一度書かれたものを削りなおして再使用するほど貴重なものだった。
ピリ・レイスはこの地図を作成するにあたり20枚の地図を参考にし、3年もの歳月をかけたという。当時は大航海時代である。途中で様々な情報が入ってきて、一度描いたものに書き足す必要が出てきたこともあったはずだ。
しかし南米の残りを描こうにも羊皮紙は貴重でそう簡単に増やせない。3年もかければ時間的にも資金的にも問題が出てきたことは十分あり得る。
となれば、新たに入ってきた海岸線の情報は余白に書き足すしかない。そこで残りの部分をなんとか地図の中に収めたのだと考えられる。幸い、向きがおかしくても海岸線の形が大体分かっていれば航海は可能だ。途中で曲がって描かれていた理由には当時の特別な事情があったと考えられるのである。
その他の地図
さて、ここからは【伝説】では紹介できなかった「南極が描かれているとされる地図」が他にも存在するので確認しておきたい。よく見かけるのは、オロンテウスの地図(1531年)、メルカトルの地図(1538年)、フランチェスコ・ロザエリの地図(1508年)、ビュアッシュの地図(1737年)である。
メルカトルの地図はオロンテウスの地図を下敷きにして描かれている。この2つは右側にある大陸が「南極」だと信じられているもの。一方、 フランチェスコ・ロザエリの地図では「南極」は下に描かれ、ビュアッシュの地図では中央に描かれている。
これらの地図は、いずれも南極大陸が発見された1820年頃よりも前に制作されている。それでは、そこに描かれている大陸の正体は一体何だろうか?
実は、16世紀頃のヨーロッパでは、「テラ・オーストラリス・インコグニタ」=「未知の南方大陸」と呼ばれる大陸が南半球に存在するという考えがあった。これは北半球の陸地に見合うだけの陸地が南半球にもあるに違いない、という考えからきている。
もともと北半球には北米大陸の他に巨大なユーラシア大陸があるのだから、バランスを考えれば南半球にも相応の陸地があるはずだというわけである。
そこで当時の地図では、まだ詳しいことがわかっていなかった南半球に、景気よく未知の南方大陸を描いていた。それが上で紹介した地図に描かれる大陸の正体である。
よく見るとオロンテウスの地図には大陸のところに「テラ・オーストラリス」と書いてある。
なお当時の地図はオーストラリアと南極大陸を想像で描いているようなものであるため、南方大陸を南極大陸だとしてしまうと、オーストラリアが描かれていないことになってしまう。
つまり、もとから南極大陸が描かれていると考えるには無理があったのだ。
ちなみに未知の南方大陸は時代を重ねるにつれて、やがて地図上から消えていくことになる。けれども「オーストラリス」の名前は、後に発見される「オーストラリア」の国名の語源となり、今の私たちにもなじみ深い名前として受け継がれている。
【参考資料】
- グラハム・ハンコック『神々の指紋・上』(翔泳社)
- ウィリアム・スタイビングJr.『スタイビング教授の超古代文明謎解き講座』(太田出版)
- H. ユウム, S. ヨコヤ, K. シミズ『「神々の指紋」の超真相』(データハウス)
- クリフォード・ウィルソン『神々の墜落』(大陸書房)
- チャールズ・J・カズー、スチュワート・D・スコット・ジュニア『超古代史の真相』(東京書籍)