アトランティス大陸
アトランティス大陸


伝説 今から約1万2000年以上前、現代文明をはるかに凌ぐ「アトランティス」と呼ばれる超古代文明が大西洋に存在した。このアトランティスについて最初に語ったのはギリシャの哲学者プラトンで、彼はこの伝説について『ティマイオス』と『クリティアス』という2つの著書に書き残している。

アトランティス大陸伝説によるとアトランティスは、リビアとアジアを合わせたほどの大きさがあり、場所は「ヘラクレスの柱の外側」にあった。そしてこの大陸に住むアトランティス人は、非常に徳が高く、聡明で、テレパシーも使い、「オリハルコン」と呼ばれる超金属を自在に操っていたという。

またこのアトランティスでは、オリハルコンをもとに、飛行機、船舶、潜水艦などが建造され、テレビ、ラジオ、電話、エレベーターが普及しており、エネルギーはレーザーを用いた遠隔操作によって供給されていた。

しかしこれだけ高度な文明を持っていたアトランティスも、今から約1万2000年前に大地震と大洪水が大陸を襲い、わずか一昼夜のうちに海中に没し、姿を消してしまったのである。


【イラスト引用元】
『ミステリアス―謎学・解明されざる不可思議 PART4』 フランシス・ヒッチング(大日本絵画) P.191

 


 

謎解き アトランティス伝説は、もとを辿っていくと古代ギリシャの哲学者プラトンが書いた2冊の本から始まる。多くの支持者にとって、この2冊に書かれているアトランティス伝説は全面的に真実であるか、もしくは歴史的事実が芯にあり、まわりにいろいろなものが付け加わった伝承だと信じられているようだ。

特にプラトンが自著の中で書いている「(この話は)全面的に真実の話であって」という一文は、「アトランティス伝説=歴史的事実」の補強材料としてよく引用される。

しかし実際のところ、プラトンが書いた他の作品も読んでみると、彼が書いた対話篇に見られる寓話の多くは真実の話だと断ったうえで紹介されていることに気付く。そして、そういった寓話の多くは作品ごとに食い違った描写が見られ、互いに矛盾している。

「アトランティスを扱った物語だけ」が真実を含んでいて、他は文字通り寓話であると判断するべき根拠はない。思い込みを排除して客観的に全体を見渡せば、そこに見えてくるのは他の作品と同様に寓話としてのアトランティスの姿である。

 

アトランティス伝説の歴史

さて、ここからはプラトン以降のアトランティス伝説の移り変わりや、よく見かける主張とその真相を紹介しよう。
まずは、主だったアトランティス説の概要と歴史である。この中でも1896年の出来事は現代のアトランティス伝説に大きな影響を与えているので注目してほしい。

1530年 詩人ジララモ・フラカストロが、スペインの探検家が中央アメリカで発見したインディオの文化は、アトランティス文明の名残りだと示唆。
1553年 スペインの歴史家フランシス・ロペス・ゴマラが、その著『インデス概史』の中で、プラトンのアトランティスと新大陸(アメリカ)は同一、もしくはプラトンは大西洋の実在の大陸の噂を聞き、それを基にアトランティス伝説を書いたと主張。
1561年 フランスの思想家ギョーム・ド・ポステルが、新大陸の名前を「アトランティス」にしようではないかと愉快な提案をする。
1624年 イギリスの哲学者フランシス・ベーコンが、小説『ニュー・アトランティス』で、ブラジルにあったアトランティスがヨーロッパ文明の根源だと主張。
1665年 イエズス会司祭のアタナシウス・キルヒャーが、大西洋にアトランティス大陸を記入した地図を発表。
1864年? フランスの神父シャルル・エティエンヌ・ブラッスールが、後に間違いであることが判明した「マヤ・アルファベット」を使って『トロアノ絵文書』を独自に解読。その結果、紀元前9937年に大西洋の大きな島を呑み込んだ大災害の記録を見つけたと主張。
ブラッスールによれば、この失われた大陸はインディオによって「ムー」と呼ばれていたという。
1882年 アメリカの政治家イグネイシャス・ダンリー(ドネリー)が、その著『アトランティス―大洪水以前の世界』において、アトランティス大陸は大西洋にあったと主張。この本はベストセラーになり、近代アトランティス説のネタ元となる。
1886年 フランスのピラミッド神秘学オーギュスト・ル・プロンジョンが、ブラッスールと同様の解読を行い、彼の説をさらに発展させる。
1888年〜 ロシア生まれのオカルティスト、エレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーは、その著『The Secret Doctrine』(全6巻、1888年―1936年)の中で、インド洋の仮想大陸レムリアをアトランティスと結びつける。
ブラヴァツキーによれば、レムリア大陸に現れた四番目の「根源人種」は人類に似たアトランティス人で、五番目は我々人類なのだという。
1896年 イギリスのオカルティスト、ウィリアム・スコット=エリオットが、その著『The Story of Atlantis』の中で、霊視によってアトランティス人たちの生活を知ったと主張。
この本に書かれていた「アトランティス人は超能力が使えた」「アトランティスでは飛行機が飛んでいた」などの描写は、結果として「アトランティスには現代文明を凌ぐ超文明が存在した」という、プラトンのアトランティスからは絶対に導けないイメージを一般の読者に植え付けることになった。
1913年 フランスの地質学者ピエール・テルミエが、大西洋にあるアゾレス諸島は、かつてのアトランティスの山頂であったと主張。
1920年 ドイツの民俗学者レオ・フロベーニウスは、アフリカのギニア海岸に住むヨルバ族がアトランティス人の子孫であると主張。
また、カナリア諸島の原住民グアンチ族もアトランティス人の末裔だと主張。
1939年 ギリシャの考古学者スピリドン・マリナトスは、20世紀初頭に古典学者T・K・フロストが発表した説を補強し、エーゲ海に浮かぶティラ(サントリーニ)島の大噴火でクレタ島のミノア文明が崩壊したことが、アトランティス伝説の発祥だと主張。
1940年 ギリシャの考古学者アンジェロス・ガラノプロスが、ティラ島(サントリーニ島)=アトランティス文明説を主張。
1952年 ドイツの牧師ユルゲン・シュパヌートが、その著『北海のアトランティス』において、北海のヘルゴラント島=アトランティス説を主張。
1968年 アメリカの動物学者マンソン・バレンタインが、北ビミニ島近郊の海中で、逆J字型をした通称「ビミニ・ロード」を発見。
その後、眠れる預言者エドガー・ケイシーの預言と合致することから、ビミニ=アトランティス説が信奉者によって主張される。

 

以上が、プラトン以降の主だったアトランティス伝説の変遷である。
年表の中では大西洋以外の主だったアトランティス候補地として、アメリカ、ギニア海岸、ティラ島、北海(ヘルゴランド島)、ビミニ諸島、南極大陸などを紹介したが、上で紹介したもの以外にも、ブラジル、サハラ砂漠、イギリス、コーカサス山脈、北極、スピッツベルゲン島、ナイジェリア、スウェーデン、など多くの説が出されている。(今までにこじつけられた候補地は世界中で1700ヵ所を超える)

これを知れば、現在では、アトランティスの候補地になっていない土地を探すほうが難しいことや、信奉者によって好き勝手にアトランティスの候補地としてこじつけることが可能だということがわかるだろう。

彼らは自説に都合のいい部分だけを取り出し、あとの都合の悪い部分は無視するか、「伝説が正しく伝わらなかった」とか、「ゼロが1つ多すぎる」「長さの単位が間違っている」「ヘラクレスの柱は神殿の柱のことなのだ」などと主張する。

こういった信奉者の手前勝手な解釈を用いれば、どんな場所でもアトランティスの候補地とすることが可能である。これらの諸説に対しては、アメリカのSF作家で懐疑論者でもあるライアン・スプレイグ・ディ・キャンプが、その著書
『Lost Continents』(抄訳:『プラトンのアトランティス』(角川春樹事務所))の中で、次のように述べているので紹介しておこう。

「これは丁度、伝説の王アーサーが、“実は”クレオパトラ女王なのだ、と言っているようなものだ。その場合、クレオパトラの性を、国籍を、時代を、気性を、道徳的性格を、その他あらゆる細かい点をすべて変えてかからなければならない。そうしてはじめて、類似点が見えてくるのである」

 

よく見かける主張とその真相

ここからは巷でよく見かける主張を取り上げ、個別に解説していきたいと思う。


・アトランティスは大西洋に存在した可能性が高い。

アトランティス大陸の候補地としては、大西洋が最も頻繁に挙げられる。しかし海洋底の調査によると、かつて広大な陸地が存在し沈没した可能性がないことがわかっている。また大陸移動説(プレートテクトニクス)でも、ヨーロッパとアメリカ、アフリカ大陸をジグソーパズルのように一つに集め、かつての姿を再現したとき、その間に別の大陸が入るべき余地は残念ながら残されていない。


・アトランティスには「オリハルコン」と呼ばれる超金属があり、『クリティアス』の中ではその性質として、「オリハルコンは飛行船を宙に浮かせる事が出来る」と書かれている。

この「超金属オリハルコン」の伝説はアトランティスの伝説の中ではお馴染み。しかしネタ元であるプラトンの著作には一体どのように紹介されているのだろうか。

以下は、『クリティアス』の中で初めてオリハルコンが紹介される箇所である。

「今はただ名のみとなっているが、当時は実際に採掘されていたオレイカルコスの類は、そのころ金につぐ非常に貴重な金属であって、島内のいたるところに分布していた」

                『クリティアス』プラトン全集12(岩波書店)


ここで書かれている「オレイカルコス」(語源は「山の銅」:【oros】オロス「山」+【chalkos】カルコス「銅」)とはオリハルコンのことである。このたった3行の記述からはオリハルコンが超金属であることはうかがえない。他の箇所ではどうだろうか。


「(前略)アクロポリスをじかに囲む石塀には炎のようにさんぜんと輝くオレイカルコスをかぶせた」

「(前略)内側の天井には一面に象牙をかぶせ、金や銀やオレイカルコスの飾りつけをして変化をもたせるとともに、その他、壁や柱や床にはびっしりとオレイカルコスを敷きつめていた」

「(前略)碑文として初代の王たちの手でオレイカルコスの柱に刻まれたのであるが、この柱は島の中央のポセイドンの社に安置されていた」
                
                『クリティアス』プラトン全集12(岩波書店)


さて、これで全部である。これ以外に『クリティアス』の中でオリハルコンに言及している箇所はない。

もうおわかりだろう。そもそもプラトンの著作からは、オリハルコンが「超金属」であることをうかがわせる記述はどこにも見当たらないのだ。(せいぜい金に次ぐ装飾用の金属らしいことがうかがえるくらい)

 

・大西洋では、「レミングの集団自殺」や「ヨーロッパウナギが数千キロも離れた場所で産卵」など、実に不可解な行動が報告されている。しかし、これらの謎の行動は、古代の大西洋にアトランティス大陸があったと仮定すれば上手く説明することができる。

この話は、1999年2月28日に日本テレビで放送された『特命リサーチ200X』で取り上げられた話である。まず「レミングの集団自殺」については、1958年に公開されたディズニーのドキュメンタリー映画『White Wilderness』(邦題:『白い荒野』)によって広められた有名な迷信であり(※注1)実際にはレミングは海に飛び込んで集団自殺など行わない。

この映画については、そもそもロケ地であるカナダのアルバータ州には海がないことや、レミング自体が生息していないこと、また撮影に使われたレミングは、同じカナダのマニトバ州などで地元のイヌイットから買い取っていたことなどが、カナダのプロデューサーであるブライアン・ヴァレーの調査によって1983年に判明している。

また2003年の『Science』誌でも、グリーンランドでの15年に渡る実地研究をまとめた論文が発表され、改めてレミングの集団自殺が迷信であると確認されている。(レミングについて日本語で読めるものとしてはこちらのサイトがわかりやすい)

【※注1・追記】 この映画が公開される以前にも、ジェイムズ・サーバーの短編『Interview with a Lemming』(1942年)や、アーサー・C・クラークの短編『憑かれたもの』(1953年)、リチャード・マシスンの短編『Lemmings』(1957年)といった小説で、レミングの集団自殺が題材として扱われていることがわかった。どうやら欧米では、どれほど広まっていたのかはわからないが、昔から信じられている迷信らしい。(とはいえ、このディズニー映画の迷信を広めた影響力は、他の3作品を大きく超えているとは思う)


次に「ヨーロッパウナギが数千キロも離れた場所で産卵」する件については、これは確かに事実である。しかし同時に、日本のウナギも数千キロを回遊して産卵している、という事実があることも指摘しておかなければならない。またウナギ以外では、サケやマグロなども産卵のため数千キロを回遊することが知られている。

もし数千キロを回遊する魚が「大西洋のヨーロッパウナギだけ」ならばともかく、実際には大西洋以外にも、そしてウナギ以外にも同じような行動をとる魚はいるのだから、わざわざウナギの産卵についてアトランティスを想定する必要性は低い。

 

・アトランティスの遺跡と思われる通称「ビミニ・ロード」が1968年に発見されたが、この発見は「眠れる預言者」エドガー・ケイシーによって見事に預言されていた。

通称「ビミニロード」は、1968年に動物学者のマンソン・バレンタインによって、北ビミニ諸島近海の海中で発見された。

詳しい発見場所は、北ビミニ島北西部の海岸から800メートルほど沖合いに入った地点で、深さ7メートルほどの海底に、5メートル四方もある長方形の石が、逆「J」字型(ひらがなの「し」のような)形を描くように、長さ約1.2キロに渡って存在している。



図は、左と中央がビミニ諸島の位置を示したもの(通常想定されているアトランティスの位置(大西洋の中央)からは、かなりハズれた地域にあることに注目してほしい)。右はその拡大図。

これまでにこの「ビミニロード」は、科学雑誌『ネイチャー』や考古学関連の雑誌でも何度か論文として取り上げられ、詳しく調査された。しかしいずれも人工物ではなく、自然にできた石灰岩に割れ目が入り、石畳のように見えているだけという結論が出されている。

ビミニロードを形づくる石は、一見すると後から海底に敷き詰めたように見えるが、持ち上がっている石の下部と、その下にある窪みの様子を調べると向き合っている部分がきれいに対応しており、表面の模様などからしても元は一枚の岩から成っていたことは明らかだという。

また石灰岩がブロック状に露出することは少しも不思議なことではなく、バハマ北西部ではこの他にも、破砕と腐食の程度はさまざまだが、地表や海中にこうした「節理石灰岩」(割れ目の入った石灰岩)の露頭が発見されている。

一方、南ビミニ島近くの海中では、樽の形をした物体が発見されていたが、こちらは明らかに人口物であるとの結論が出された。ただし、イリノイの「ポートランド・セメント組合」、クリーブランド「マスター・ビルダーズ」のR・C・ミーレンツ博士、イギリス「ビルディング・リサーチ・ステーション」のR・ナース博士ら専門家が成分分析を行ったところ、この樽はセメントで作られていることが判明した。

この樽状物体はどれも長さと形が同じであることから、おそらく木製容器、すなわち樽にセメントを流し込み固めて作られた可能性が高く、この場所に沈んでいたのは、セメントを詰めた樽を輸送中の船が難破して崩れ出したか、海中投棄された可能性が高いと見られている。


次に、この「ビミニロード」とエドガー・ケイシーの預言について。そもそもケイシーはどのような預言を行っていたのだろうか。
以下は、ビミニロードに関連すると言われているケイシーの預言である。

「大西洋のビミニ島は、今日の文明が、それに到達するための手段を見いだした場所であり、かつての大陸のうちで海上に残された最も高い箇所である」 (1926年8月14日の預言)

「アトランティスの首都・ポセイディアが再浮上する。1968年か69年か、そう遠いことではない」 (1940年の預言)


ビミニ島の沖合で「遺跡が発見された」とする確たる証拠は見つかっていない。何らかの文明を示唆するものも見つかっていない。さらにアトランティスの首都だというポセイディアも再浮上などしていない。つまり預言はハズレである。

ちなみにこれらの預言は、ケイシーがアトランティスに関して全部で700件預言したとされるうちの2つである。700件の預言の中には、「アトランティスのエネルギー・システムの)構造法の記録は、ビミニ、エジプト、ユカタン半島の3ヶ所に今も存在する。この中でもユカタン半島のものは2〜3ヶ月の間に発見され、アメリカの博物館に持ち込まれる。一部はペンシルベニアの州立博物館と、ワシントンの造船保管所、あるいはシカゴ」、「1998年にスフィンクスの下から記録が発見される」、「1998年にアトランティス大陸が再浮上する。その時、地球には大異変が起きる」など、今となっては完全にハズレが確定しているトホホな預言も含まれている。

 

・アトランティスの候補地としては、ティラ(サントリーニ)島説が最有力。

「ティラ島=アトランティス説」とは、エーゲ海に浮かぶティラ島の火山が紀元前1500年頃に爆発し、その影響で当時栄えていたクレタ島のミノア文明が崩壊したことが、アトランティスの伝説を生んだという説である。
この説はかつて私がビリーバー(信奉者)だった頃に最も信じていたものであるが、実際のところは、この説にも難点があることが判明している。


1. 年代のズレ

まず年代については、プラトンの記述をもとに計算すると、アトランティスが海中に没したのは現代からだと約1万2000年前のことで、ソロンの時代(紀元前600頃)からは9000年前の出来事だったとされている。しかしティラ島で起きた火山の爆発は今から3500年前(紀元前1500年頃)の事で、年代がまったく合わない。

ところがこれに対し、考古学者のアンジェロス・ガラノプロスは、ソロンがエジプト人からアトランティス伝説を聞いた際、数字の「100」「1000」を聞き間違い、実際の数字より一桁多く伝えられるようになってしまったのではないかと主張した。

これならソロンの時代(紀元前600年頃)から「9000」年前という話が、一桁減って「900」年前とするとことができるので、ちょうどティラ島の火山が爆発した紀元前1500年前(600+900)とピッタリ一致するというわけだ。

またこのほかにも、アトランティスの平野の大きさとして記述されている数字なども、10分の1の大きさにすれば、クレタ島の中央部にある平野とほぼ同じになる、とも主張している。確かにこれなら、一見するとプラトンの記述との矛盾点も上手く説明できそうである。

しかしガラノプロスの主張をよくみてみると、その「桁をひとつ間違った」という切り札を恣意的に使い分けていることがわかる。年代や平野に関しては「桁をひとつ間違った」としているにもかかわらず、他の箇所、たとえば首都に関する記述などでは、数字を10分の1にせず、プラトンが書いた数字をそのまま使っているのである。

つまり自説に都合の悪い箇所では勝手に数字を10分の1にしながら、自説に都合の良い箇所では数字をそのまま使う、というかなり恣意的な操作を行っているのである。なお、こういったガラノプロスの主張に関しては、古代文明の謎はどこまで解けたか〈1〉失われた世界と驚異の建築物・篇 P・ジェイムズ&N・ソープ (太田出版)の中で次のように批判されているので紹介しておきたい。

「ソロンが神官から聞いた数字を誤って10倍大きく受け取った、という説明も同様にバカげている。ソロンは船主で、海外を旅する費用は交易で得たものだった。エジプト人の『100』と『1000』を区別できないようでは、商売は 惨憺 (さんたん)たるものになっていただろう」


2. 相違点

次に、年代以外にもプラトンの記述との相違点は多い。
たとえば、ティラ島の火山が噴火したことでミノア文明は滅んだと主張されているが、プラトンのアトランティス伝説には「火山の噴火」に関することは書かれていない。

またこの他にも、アトランティスは海洋帝国で多くの植民地をもっていたこと、鉱山資源に大変恵まれていたことが記されているが、ミノア文明は大帝国などではなく、鉱山資源も必要な金属のほとんどを輸入しなければならないほど乏しかった。

ただ中には類似点とみられるものもいくつかある。しかし、そのほとんどはミノア以外の文明や地域の風習にも当てはまることばかりである。あえてミノアとアトランティスを結びつける積極的な証拠はない。


3. ミノア文明の崩壊時期とティラ島火山の噴火時期は一致しない

そもそも「ティラ島=アトランティス説」の最大の根拠とされてきた、「ティラ島の火山噴火がミノア文明を滅亡させた」とする主張には致命的な事実が存在する。

ドイツのハンス・ピヒラーとヴォルフガンク・シーリンクの調査によれば、ティラ島の爆発はミノア文明を終わらせるほどの被害は及ぼしておらず、この噴火後もミノア文明の中心地は50年間、繁栄を維持し、クノッソス宮殿にいたってはその後100年以上も繁栄し続けたのだという。

このことは、宮殿が「滅亡」ではなく「繁栄」した頃の層の下から(地層は通常下のほうが古く上にいくほど新しい)、ティラ島の火山灰の層が出てくるという事実などからほぼ間違いない。つまり火山の爆発によって文明に終止符が打たれたのではなく、その後もミノアの文明は繁栄していたのである。

 

アトランティス伝説は続く

さて、ここまでアトランティスについて懐疑的な情報を紹介してきた。ところが、こういった情報は一般に広まらないようだ。「ロマン」の名のもとに事実は無視されることが多い。今やプラトンの書いたアトランティス伝説は彼のもとを離れ、完全に別物としか言いようがないほど歪められたあとに、まるで事実であるかのごとく吹聴されることもしばしばである。

しかし私は思うのだ。本気でロマンを求めるなら、原典すら読まず、これまでの調査の結果判明している多くの事実を無視したり、都合のいい部分だけを切り貼りしたりするような肯定派の行為はやめるべきだと。

これまでどんなことが分かり、何が分かっていないのか。そして何が事実で、何が嘘なのか。まずそれらをきちんと選り分け理解することが、遠回りなようでいて、実は真実への一番の近道になるのだと思う。

(記事公開日:2006年5月12日)

【主要参考資料】

  • プラトン『プラトン全集』(岩波書店)
  • ウィリアム・H・スタイビングJr.『スタイビング教授の超古代文明謎解き講座』
    (太田出版・1999年)
  • ロバート・F・バージェス『海底の1万2000年』(心交社・1991年)
  • L. Sprague De Camp『Lost Continents』(Dover 1970年)
  • ムー特別編集『世界超文明大百科』(学研・1989年)
  • 荒俣宏・責任編集『ボーダーランド』(1996年10月号)
  • 日本テレビ「特命リサーチ200X」(1999年2月28日放送)