戦場で起きた奇跡か「モンスの天使」

伝説

それは第一次世界大戦中のベルギー、モンスで起きた。わずか千人たらずのイギリス軍が戦場で孤立し、1万人以上のドイツ軍から集中砲火を浴びているときだった。

1人のイギリス軍兵士が次のようにつぶやいた。

「終わりなき世界よ、アーメン」

彼は絶望的な状況の中で、次のように続けた。

「聖ジョージよ、イギリスに救いをさずけたまえ」

すると電気ショックのようなものが体を通り抜けたように感じた。ついに銃弾を浴びたのか? いや、そうじゃない。近くで大きな声が聞こえる。

「整列! 整列! 整列!」

「聖ジョージ! 聖ジョージ!」
「おお、守護聖人様! ありがたい、救いの神だ!」
「聖ジョージ、イギリスの守護聖人よ!」
「ああ! ありがたい! 聖ジョージ様が助けてくださる」
「おお! 聖ジョージ! おお! 聖ジョージ! 長弓と剛弓を手に!」

そこに現れたのは、後光がさした灰色の天使の一団だった。天使たちは持っていた弓をドイツ兵に向け、一斉に矢を放った。その攻撃は凄まじく、ドイツ兵は次々に射抜かれ、あっという間に1万もの死体の山が築かれた。(死体には銃弾の跡がなかったとされる)

モンスに現れた弓を射る天使たちのイメージ図

モンスに現れた弓を射る天使たちのイメージ図

天使たちに助けられたイギリス軍はモンスから無事に退却。こうして、1914年8月23日にモンスの戦場で起きた奇跡の話は、後に「モンスの天使」と呼ばれるようになり、ヨーロッパ中に広まっていくことになった。

ところが……この話にはフィクションだという指摘がある。1914年9月29日づけの『イブニング・ニューズ』紙に掲載された、アーサー・マッケンの短編小説『モンスの天使たち』が元ネタだというのだ。

そのマッケンの小説は、翌年に他の小説と共に書籍化された際、『弓の戦士たち』に改題された。

確かに、マッケンの小説では、戦場の描写などで似たところがある。小説がいつの間にか実話として流布されてしまったのだろうか。

そうではなかった。小説が元ネタだという話には、いくつもの反論があるのだった。第1に、フィリス・キャンベルという看護師の証言がある。彼女はモンスで負傷した兵士たちを手当した人物で、負傷兵たちからモンスの天使の目撃談を何度も聞いたという。

次には、陸軍准将のジョン・チャータリスの手紙がある。彼は1914年9月5日づけの手紙で、モンスの天使にまつわる話に言及しているのだ。これは、マッケンの小説が発表されるより3週間以上も前のことであり、小説が元ネタということはあり得ない。

さらに作家のダニー・サリバンがトドメをさす。彼は1999年にイギリスのモンマスにあるボニータという骨董品店で、偶然、古い小箱を見つけて買った。その小箱には、第一次世界大戦の資料が多数入っており、中にはモンスの戦いに参加したウィリアム・ドイジという軍人の手紙や天使の姿をとらえたフィルムが入っていた。

ドイジは戦場でモンスの天使を実際に目撃し、戦後は、そのモンスの天使の探求に生涯を費やしたことなどが記録から判明したという。

このように、モンスで奇跡が起きたことは複数の証拠によって明らかになっている。(以下、謎解きに続く)

謎解き

モンスの天使にまつわる話は、実際にあったモンスの戦いをもとに、怪奇小説家のアーサー・マッケンが創作したとされている。

アーサー・マッケン

アーサー・マッケン(出典:『The Angel of Mons』)

実は、マッケンがロンドンの『イブニング・ニューズ』紙でこの話を発表した当初は、他の話に埋もれ、それほど注目を集めることはなかった。しかし教会関係者は違った。この奇跡の話に飛びついたのである。

彼らは教会や関連団体から発行する『教区雑誌』と呼ばれるものを発行していて、そこでこぞってこの話を紹介していった。中でも、「オール・セインツ・クリフトン」という団体が発行した1915年4月号の『教区雑誌』は大きな反響を呼び、モンスの天使の話が拡散するきっかけをつくったといわれている。

だが、小説が元ネタだという話には複数の反論があるのではなかったか。そのとおり。それらの反論を見る限り、小説起源説は破綻しているように見える。

ところが、その反論とされるものを詳しく調べてみると、どうも通常言われている話とは違うことがわかってきた。ここでは個別に見ていきたい。

フィリス・キャンベルの逸話の信憑性

まずはフィリス・キャンベルの逸話。彼女の話がはじめて出てきたのは、1915年8月の『オカルト・レビュー』という雑誌の記事である。

フィリス・キャンベル

フィリス・キャンベル(出典:『The Angel of Mons』)

時期を見ればわかるとおり、これはモンスの天使が話題になった後のことだった。キャンベルはこのタイミングで記事を書いたことにより、大きな注目を集めることに成功した。

ところが残念なことに、彼女の話には裏付けとなるものが乏しかった。たとえば彼女は、「モンスで戦ったみんなが天使を見た」と書いているが、それを裏付ける兵士の証言はない。また、目撃したという兵士の名前を答えることもできなかった。

さらにキャンベルが書いた別の記事では、実在しない「ジョアン」という名の姉についてのエピソードが書かれており、モンスの話も彼女の創作ではないかと疑われている。

キャンベルはその後、ライターから小説家になり、2つの作品を書いた。けれども評判は悪く、小説家としては成功せずに消えてしまった。

このように、キャンベルの話は信憑性が高くない。

ジョン・チャータリスの手紙

続いて、ジョン・チャータリスが書いた手紙。日づけは1914年9月5日とされたが、手紙の存在が公表されたのは、1931年になってからだった。

この年、チャータリスが1914年から1918年にかけて戦場から妻に送ったとされる手紙がまとめられ、『総司令部にて』という本として出版された。

その本の中で1914年9月5日の日づけで、モンスの天使に言及した手紙があったことから、マッケンの小説より先んじていると考えられた。

ジョン・チャータリス

ジョン・チャータリス
(出典:http://www.npg.org.uk/collections/search/portraitLarge/mw192569/John-Charteris)

ところが先述のように本が出版されたのは1931年である。当然、手紙の日づけの信憑性は問われなければならない。

そこで、イギリスのシェフィールド・ハラム大学でジャーナリズムを教えるデビッド・クラークと歴史家のジェイムズ・ヘイワードが、チャータリスの手紙について詳しい検証を行った。

彼らは、チャータリスの文書がマイクロフィルムで保存されているロンドン大学キングスカレッジのアーカイブを訪問。そこで9月5日の日づけになっているモンスの天使に言及した手紙を探したが、見つからなかったという。

これはどういうことか? アーカイブの記録などによると、もともとチャータリスの手紙は日づけなどが正確に記されていなかったのだという。それを戦後になって妻などが大幅に編集を加えたというのだ。

そして出版されたのが1931年の本だった。つまり、チャータリスの手紙もまた、キャンベルの話と同様、モンスの天使が話題になった後になって出てきたものだった。そこには同じく、当時実在していたという証拠が欠けている。残念ながらチャータリスの手紙も信憑性は高くない。

ダニー・サリバンの告白

最後はダニー・サリバンの話。彼の話については、2002年にBBCウェールズのラジオ・ドキュメンタリー番組「都市伝説の形成」にて真相が明らかになった。

ダニー・サリバン

ダニー・サリバン

この番組では、クリス・モリスというレポーターが、サリバンのもとを訪れ、真相を聞き出している。モリスは話の中でキーパーソンとなっているウィリアム・ドイジが実在するのか尋ねた。サリバンの回答は明快だった。

「彼は完全に創作でした」

モリスは返答する。

「ウィリアム・ドイジが実在しないと?フィルムについてはどうですか?」

サリバンはまたも明快に答える。

「フィルムも最初から存在しないんです」

このときの番組での話をまとめると、サリバンが語っていたモンスの天使に関する話は、すべてが嘘っぱちだったという。しかし、番組では骨董品店のオーナーが、サリバンは店を訪問して天使とラベルがついたフィルムを買っていったという話を得ていた。

そこで、この話についてもサリバンに聞いたところ、彼は次のように答えた。

「いいえ、私はボニータから何かを買ったことは全くありません。そこに何度か行ったことはありますが、実際には何も買ったことがないんです」

店側からすれば、サリバンが店で天使関連の掘り出し物を見つけたと宣伝した方が、大きなメリットになることはわかる。だがサリバンは、モンスの天使に関する話をデッチ上げて、何かメリットがあったのだろうか?

実は、彼の本当の狙いは、1992年に出した自費出版本に注目を集めさせることだった。その本はイギリスの幽霊屋敷「ウッドチェスター・マンション」に関する話をまとめたものだったが、当時は全然売れなかった。ガレージには在庫の山ができていたという。

ウッドチェスター・マンション

ウッドチェスター・マンション

そこで思いついたのが、イギリスで伝説となっていたモンスの天使の話を利用することだった。サリバンは、まずウィリアム・ドイジを創作し、彼を天使の探求者とした。

そのドイジは、「ダグ」(創作)という謎の退役軍人に導かれ、ウッドチェスター・マンションにて探し求めていた天使に再会する、というストーリーを仕立てた。

サリバンはこの話を宣伝するために、ホームページを開設。ウッドチェスター・マンションで撮影されたという天使の写真まで掲載していた。そのホームページ(すでに閉鎖)では、やや唐突にウッドチェスター・マンションの話が出てくるが、サリバンの真の目的はそこにあるため、不自然になっても話をねじこむ必要があった。

ウッドチェスター・マンションで撮影されたという設定の天使

ウッドチェスター・マンションで撮影されたという設定の天使

こうしてサリバンは、モンスの天使をダシに、ウッドチェスター・マンションへ注目を集めることには成功した。しかし、それもBBCが取材を始めるまでだった。いずれ嘘がバレることを悟ったサリバンは、番組ですべてを告白したのだった。

サリバンの自費出版本が、結局どれだけ売れたのかはわからない。けれども、これまで紹介してきた話が教えてくれるのは、有名な奇跡の話に便乗したいという、人間らしい欲の存在だ。

モンスの天使が伝説として生き続ける限り、そこに群がる人間の欲もまた尽きることがない。

【参考資料】

  • 並木伸一郎『最強の都市伝説』(経済界、2007年)
  • アーサー・マッケン『アーサー・マッケン作品集成 第三巻』(沖積舎、1994年)
  • Arthur Machen『The Angels of Mons: The Bowmen, and Other Legends of the War』(G. P. Putnam’s Sons, 1915)
  • David Clarke「Rumours of Angels: A Response to Simpson」『Folklore』(Vol. 115, No. 1, April 2004)
  • David Clarke『The Angel of Mons』(Wiley, 2004)
  • David Clarke「The Angel of Mons」『Fortean Times』(http://www.forteantimes.com/features/articles/213/the_angel_of_mons.html)
  • Richard J. Bleiler『The Strange Case of “The Angels of Mons”』(McFarland, 2015)
  • Steve「Phyllis Campbell and the Angels of Mons」(https://bearalley.blogspot.jp/2016/11/phyllis-campbell-and-angels-of-mons.html)
  • Brian Dunning「The Angel of Mons」(https://skeptoid.com/episodes/4137)
  • Danny Sullivan「The Doidge’s Angel Homepage」(https://web.archive.org/web/20040411010033/http://www.doidgesangel.com:80/)
  • バーバラ・W・タックマン『八月の砲声』(筑摩書房、2004年)
  • ジョン・エリス『機関銃の社会史』(平凡社、2008年)
レクタングル広告(大)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする