ピリ・レイスの地図


伝説 歴史的に見てもありえない、高度なテクノロジーによって創られたと思われる遺物が世界各地から発見されている。
それらは、「オーパーツ」(OOPARTS)と呼ばれる。「Out of Place Artifacts」―場違いの人工物―を省略した呼び名である。

このオーパーツの中でも、有名なものとして「ピリ・レイスの地図」がある。

ピリ・レイスの地図この古地図は1929年にトルコで発見されたもので、作成者はピリ・レイス(レイスは提督の意味)として知られる、オスマン・トルコの提督ピリ・イブン・ハジ・メムド。作成されたのは1513年である。

アメリカの古地図研究家アーリントン・マレリーは、この古地図に興味を持ち、詳しく分析を行ってみた。すると分析を進めるうちに驚くべき事実に気が付いた。
地図の南の端に見える陸地は、氷に覆われる以前の南極大陸の海岸線を示していたのだ。しかも、この地図の海岸線は、エジプトのカイロ上空から撮影した衛星写真の地形と見事に一致していた。
この事実は後に、アメリカのニューハンプシャー州にあるキーン州立大学の故チャールズ・ハプグッド教授によって確認され、注目を集めることになった。

これだけでも十分に凄いことだが、実は氷結前の南極大陸を描いた地図はピリ・レイスの地図だけではなかった。1531年に作成されたオロンテウスの地図や、1538年に作成されたメルカトルの地図、そして1737年に作成されたビュアッシュの地図などにも南極大陸が描かれていたのである。ちなみに定説では、南極大陸が発見されたのは1820年ごろとされている。

もはや疑いはないだろう。

ピリ・レイスをはじめとする地図製作者たちは、南極が氷結する前の地形を知っていた超古代文明人の地図を元に、これらの地図を描いたのである。

 


 

謎解き ピリ・レイスの地図は、数あるオーパーツの中でも、かなり有名なものである。あのグラハム・ハンコックの世界的大ベストセラー『神々の指紋』の冒頭でも取り上げられ、ご存知の方も多いだろう。

しかし、この地図は本当にオーパーツなのだろうか?
以下では、ピリ・レイスの地図や、その他の地図が本当にオーパーツと呼べる代物なのか、検証してみることにしよう。

 

絶対的に正確?

ピリ・レイスの地図について、グラハム・ハンコックは「その後、この風変わりな古代地図に対する科学的研究は行われていない」と『神々の指紋』に書き、さらに「同時代の学者たちは、まともな議論をせず、『間の抜けた皮肉で対処し、本筋と関係ない些細な要素を取り上げて非難し、基本的な問題に直面するのを避けた』」というハプグッド教授の文を引用している。

また、かつて数多くの超古代文明本を書き、宇宙考古学ブームを巻き起こしたエーリッヒ・フォン・デニケンは著書の中で、ピリ・レイスの地図は「絶対的に正確」で、南北アメリカ大陸や南極大陸の形までが「厳密に描かれて」おり、「最新技術の―空からの―力を借りて作られたに違いない」と書いている。

しかし、これらの話はすべて大嘘である。

ピリ・レイスの地図は、ハプグッドと同時代には学者たちによって詳細に検証されていた。たとえば、オーストラリア考古学会の元会長であるゴードン・ガーナーは、『神々の戦車か? 批判的レビュー』の中で、ピリ・レイスの地図に対する批判的検討を行っている。

また、エドガー・W・カースルとバーリ・B・シアリングによって編纂された『戦車にも一部の信頼』という本の中でも、各分野の科学者や研究者が批判的検討を行っているのである。

 

検証

右のピリ・レイスの地図をご覧いただきたい。

まず、この地図がどのあたりを描いたものかというと、メインは大西洋である。右側に描かれているのがアフリカ大陸。左側に描かれているのは南北アメリカ大陸。下に描かれているのが南極大陸だと信じられている海岸線である。

番号をふってある箇所は、この地図が「絶対的に正確」などではないことを示す箇所だ。順番に紹介しよう。


(1) これは、おそらくキューバ島を描いているのだと思うが、大きさ、形、位置、が全部違う。

(2) カリブ海の海岸線。実際は、こんな形をしていない。

(3) はっきり言って、正確な地図とあまりにも異なるので、どこの島を描いたのか悩んだが、おそらくこれはイスパニョーラ島(ハイチ島)なのだと思う。大きさ、形、位置、は全く違う。

(4) これも悩んだ。実際には、こんなところに島などないのだが、超好意的に解釈すればプエルトリコ島かもしれない。本来なら、イスパニョーラ島とプエルトリコ島は、キューバ島のすぐ近くに描かれなければいけないのだ。

(5) 矢印で示しているのがアマゾン川。もちろん実際のアマゾン川は一本しかない。だが、この地図では2本描かれている。(しかも短すぎ!)

(6) アンデス山脈。実際の発見はこの地図が描かれるよりも後だが、原住民から話としては聞いていたのだろう。
ただ位置が違っていて、実際には南米大陸の西側(この地図でいえば左側)の海岸に沿うような形でアンデス山脈は存在している。

(7) これが一番わかりやすい。地図を実際に見なくても、常識で間違いだと気付く。
南米と南極大陸がつながっているのだ。この事実だけでも、ピリ・レイスの地図が現代の地図と比較しても「絶対的に正確」などではないことが、おわかりいただけるだろう。(ちなみに『神々の指紋』(上巻8ページ)に載っているような、正距方位図法を用いた地図と比較しても、ピリ・レイスの地図は正確ではない)

【ちょっと寄り道】 上で常識で気付くと書いたのだが・・・実を言うと私が信奉者だっと頃は、2大陸が地続きだということには、まったく気付かなかった・・・_| ̄|○
やっぱり盲信してはダメなのだ。

 

「南極もどき」の正体

ピリ・レイスの地図の下方には、「南極もどき」が描かれているが、ではこの正体は一体何なのだろう。

実は、この「南極もどき」は南米の東海岸を実際よりも長く描いてしまったものだと考えられているのだ。これは実際に見比べてもらったほうがいいだろう。

←これが「ピリ・レイスの地図」の下の部分を、右に90度回転させた状態(途中で曲がらなければ、こう見えたはず。曲がってしまった理由は後述)。この画像と、こちらの南米の地図を見比べてみてほしい。「ARGENTINA」という文字の下に線があるが、これより下の部分(左右に2つある海岸線うち右側の方)の海岸線は、尺度こそ違うものの、このピリ・レイスの地図と似ているのがわかるだろうか。

少なくとも実際には存在しない南米と南極をつなぐ海岸線を想定するよりは、こちらの見方のほうが、はるかにマシだろう。

では、この「南極もどき」の部分は、なぜ90度も曲がっているのだろうか?【※注1】

実は、この部分が曲がって描かれているのは紙が足りなくなったことが原因だと考えられているのだ。
そんなバカな、と思われるかもしれないが、この地図に使われているのは「羊皮紙」と呼ばれる紙で、当時は貴族が一度書かれた羊皮紙を削りなおして再使用するほど貴重なものだったのである。

ピリ・レイスは、この地図を作成するのに33枚の地図を参考にし、3年の歳月をかけた。当時は大航海時代である。アマゾン川が2本描かれていることからもわかるように、途中で様々な情報が入ってきて、一度描いたものに付け加えたりもしていたのだろう。南米の残りを描きたくても、羊皮紙は足りない。3年もかければ、時間的にも資金的にも問題が出てきたことは十分考えられる。

そこで、残りの部分を90度曲げ、なんとか地図の中に収めたのだろう。幸い、方位がおかしくても、海岸線の大体の形が分かっていれば航海はなんとかなる。海岸線が途中で曲がって描かれていたのには、当時の特別な事情があったのである。


【※注1】  TBSの「世界ふしぎ発見」で、海岸線が曲がっているのは、昔の人が地球が丸いことを知っていた証拠だ(丸いことを考慮に入れた図法では似た形になる)、みたいなことを理由に、「なぜ当時の人は地球が丸いことを知っていたのだろうか?」という、謎でも何でもないことを意味ありげに紹介していた。

地球が丸いことは、紀元前からわかっていたことなのだ。
もちろんピリ・レイスの地図が作成された16世紀でも、知識人たちの間では地球が丸いことは常識だった。だから、昔の人が地球が丸いことを知っていたとしても、不思議でもなんでもないのである。

このテの話では、「昔の人=無知、未開」と勝手に決めつけたうえで、謎をデッチ上げることが多いので注意が必要だ。

 

その他の地図

続いては、ピリ・レイスの地図以外の古地図を見てみよう。

南極大陸が描かれているとしてよく紹介されるのは、オロンテウスの地図(1531年作成)、メルカトルの地図(1538年作成)、ビュアッシュの地図(1737年作成)である。
またこのほかでは、ミリティウスの地図(1590年作成)、フランチェスコ・ロザエリの地図(1508年作成)などが紹介されることが多い。(以下に示す)



メルカトルの地図は、オロンテウス地図を下敷きにして描かれた。
右側にあるデカい大陸が「南極」だと信じられているもの。


  


これらの地図は、いずれも南極大陸が発見された1820年(頃)よりも前に作成されている。もし本当に南極大陸が描かれているなら、確かにスゴイことだろう。

だが実際に地図を見てみると、何かが足りない気がしないだろうか?

そう、南半球にある大陸が「南極」だとすると、オーストラリアが描かれていないのだ。並木伸一郎氏の著書(※注2)『オーパーツの謎』(学研)では、フランチェスコ・ロザエリの地図を紹介しているページで「オーストラリアこそ見当たらないが」などと、さらりと書いているが、『オーストラリアが見当たらない』ということは、そんな簡単に流していい話ではないだろう。
もし「南極っぽいのはあるけど、オーストラリアは描かれてない」なんてトホホな地図であるとすれば、とてもオーパーツと呼べる代物ではなくなってしまうではないか。


【※注2】  この『オーパーツの謎』の185ページでは、オロンテウスの地図の「南極もどき」の部分が、現代の南極地図と比較して、いかに似ているのかを強調している。
しかし、このページで比較されている「現代の南極地図」は、氷の下の実際の地形とは違う。実際に比較したものは『「神々の指紋」の超真相』(データハウス)に載っているが、本当は大きさも形も似ていない。
また、この『「神々の指紋」の超真相』には、グラハム・ハンコックが『神々の指紋』(翔泳社)の中で行っている数々のイカサマを暴露している。その中には、上巻23ページで地図を比較する際に行った小細工の暴露も行われているので、興味のある方は是非ご覧になってほしい。


では、この南極もどきの正体は何なのだろうか?

実は、地図自体にヒントが書かれているのだ。
「南極もどき」が描かれている地図をよく見ると、そこには、ある文字が書かれているのに気付く。

  


フランチェスコ・ロザエリの地図と、メルカトルの地図は文字がつぶれて判別できなかったが、残りの3つには上に示した文字が書かれている。

共通しているのは、「テラ・オーストラリス」という文字。
はて? 似たような名前を聞いたことがあるような・・・

そう、実はこの「テラ・オーストラリス」(Terra=大陸、Australis=南方の)という言葉は、オーストラリアの国名の語源になった言葉なのだ。もちろん当時は、まだヨーロッパ人たちはオーストラリアを発見していなかった。しかし、その近くまでは行っていたのである。

1522年、フェルディナンド・マゼランは世界一周の航海を成し遂げた。マゼラン一行は、オーストラリアに上陸こそしていないが、近くまでは行っていたのだ。1587年(1538年のものとは別の地図)に描かれたメルカトルの地図の「南極もどき」の部分には、次のように書いてある。

「その発見者の名を取って、この南の大陸はマゼラン地方と呼ばれている」


また、オロンテウスの地図(1531年作成)の「南極もどき」の部分には、ラテン語で「“つい最近発見された”南の土地、詳細は未だ不明なり」と書かれている。(強調は引用者)

地図に描かれていたのは南極ではなく、当時噂として聞いていたオーストラリア大陸を想像で描いたものだったのである。そして地図製作者たちは、超古代文明人の知識を参考にしたのではなく、マゼランたちの情報を参考にしていたのだ。

でも、そうなると1つ疑問が残る。1522年よりも前に「南極もどき」が描かれていた、フランチェスコ・ロザエリの地図(1508年作成)はどうなるのか?

実は紀元前の時代から、ギリシャの学者たちによって、南半球には未知の大陸が存在するであろうことが想像されていたのだ。その大陸の名は「テラ・オーストラリス・インコグニタ」=「未知の南方大陸」と呼ばれていた。

なぜ昔の人たちが「未知の南方大陸」を想像したかというと、地球全体のデザイン的なバランスから見て、北半球の陸地に見合うだけの陸地が南半球にもあるに違いないと考えられていたからだ。

この考え方は、大航海時代でも受け継がれていた。つまり、1522年よりも前に作成されたフランチェスコ・ロザエリの地図に描かれていた「南極もどき」の正体とは、紀元前の時代から想像されていた「"未知の"南方大陸」だったのである。