後世に多大な影響を与えた「ヒル夫妻誘拐事件」

伝説

1961年9月19日の深夜、バーニー・ヒルベティ・ヒルの夫妻は休暇先のカナダから自宅のあるポーツマスへ車を走らせていた。するとその途中、ニューハンプシャー州インディアンヘッド付近のハイウェイで、上空に明るい一列の窓があるUFOを目撃した。

UFOの想像図

UFOの想像図

上空30メートル付近に浮かんでいたそのUFOは巨大に見え、側面には赤いライトがあったという。バーニーは車から出て15メートルほどのところまで近づくと、一列に並んだ窓から奇妙な顔を目撃。その瞬間、彼は次のように叫んだ。

「信じられない。なにかの間違いだ。馬鹿げている!」

パニックに陥ったバーニーは車に飛び乗り、スピードを上げて走り去ろうと試みる。しかしすぐにブザーのような連続音がトランクのあたりから聞こえてきたと思えば、車が勝手に振動を開始。

すると不思議な眠気が二人を襲う。気が付けば、最初に音を聞いた場所から60キロも離れた場所にいた。二人に移動した記憶はまったくない。自宅に戻ると通常よりも2時間ほど余計に時間が経過していたという。

ヒル夫妻

ヒル夫妻。左がベティ、右がバーニー。

その後ベティは不思議な夢に悩まされ、バーニーは不眠などに悩まされることになる。不安になった夫妻はボストンの有名な精神分析医のベンジャミン・サイモン博士のもとへ通い、催眠治療を受けることにした。

博士が行った催眠治療は「退行催眠」と呼ばれるもので、失われた記憶を蘇らすことが可能である。夫妻が思い出した記憶は、空白の2時間の間に円盤の中へと連れ込まれ、異星人に生体実験を受けた、というものだった。

宇宙人のイラスト

ヒル夫妻を誘拐したという宇宙人のイラスト

普通に聞けば突拍子もない話に思えるかもしれない。ところがこの記憶を裏付ける証拠が存在する。ベティが異星人から見せられたという星図を、彼女が後に思い出して描いた図だ。

スターマップ

スターマップ。太い線が貿易ルートで破線は探検ルートだという。

通称「スター・マップ」と呼ばれるれているこの星図は、1969年に、オハイオ州の小学校教師でアマチュア天文家のマージョリー・フィッシュによって、まさしく実際の星の配置と一致していると分析された。

フィッシュによれば、異星人の母星は地球から32光年の距離にある「レクチル座ゼータ星」だという。やはりヒル夫妻が異星人に誘拐されたという話は事実だったのである。(以下、謎解きに続く)


Photo by 「Betty and Barney Hill Abduction Case」(http://www.ufoevidence.org/cases/case315.htm)
University of New Hampshire Library「Betty and Barney Hill Papers, 1961-2006」(http://www.library.unh.edu/find/archives/collections/betty-and-barney-hill-papers-1961-2006)

謎解き

この事件は、数ある異星人による誘拐事件(アブダクション)の中でも最も有名なものである。UFO史を扱った本では必ず紹介される事件だ。当然、研究も進んでいるので、以下で紹介しておきたい。

退行催眠は当てにならない

まずサイモン博士が行った退行催眠については、その退行催眠によってよみがえったという記憶が本当に起きたことなのか、という疑問がある。というのも心理学などの研究では記憶の不確実性が明らかにされているからだ。

退行催眠では夢のように脳が想像したものや、あとから入ってきた情報を自分が体験したものだと思い込んでしまう危険性も指摘されており、いわゆる「偽記憶」がつくられやすい。

実は、こうしたことはサイモン博士自身もわかっていた。退行催眠によって夫妻が語った話は夢だろうという見解を、テレビやUFO研究家へ送った手紙などで述べている。よって退行催眠を根拠にした話は不確実性が高いというのが実情である。

「空白の2時間」という話も、事件から2ヵ月以上経ったあとに出てきた話だった。このときはUFO研究団体のメンバーとの面談中で、「なんで家に帰るのに、そんなに長くかかったのですか?」と質問されたことがきっかけだった。

ヒル夫妻が見たUFOの正体

次はヒル夫妻が目撃したというUFOの正体について。これを考えるうえで大きな手がかりになるのは、ベティがUFO研究家のロバート・シェーファーの質問に答えて描いた次のイラストである。

ベティの図

Robert Sheaffer「Dr. Simon Reveals his Real Thoughts on the Hill “UFO Abduction” Case」(http://badufos.blogspot.jp/2015/12/dr-simon-reveals-his-real-thoughts-on.html)より

これは目撃時に見えた宇宙船と周囲の空の様子だという。図の中の大きな円が月。左に「Craft/クラフト」と書かれた小さな円が宇宙船。その下の「Jupiter/ジュピター」が木星である。他に星はなかったという。

それでは、実際の当夜の様子はどうだったのだろうか。下の画像は、天文ソフトを使って1961年9月19日、23時の現場の夜空を再現したものである。

再現した夜空

「Stella Theater Pro」より

再現された夜空を見ると、月の近くには木星ともうひとつ土星があったということがわかる。木星と土星は非常に明るいため、見落とすということはまず考えられない。

ところがベティは月の近くに明るいUFOと、ひとつの星しか見なかったとしている。ならばUFOの正体は明らかだ。ベティが明るいUFOだと思っていたものは実は木星で、彼女が木星だと思っていたものが土星だったと考えられる。

星をUFOと見間違えることはよくあることだ。UFO研究家のアラン・ヘンドリーが行った調査では、UFOの正体が判明した中で、もっとも多い誤認例は星の見間違い(約35%)だという結果が出ている。

ちなみにヒル夫妻はその夜、車がほとんど通らない夜のハイウェイを走り続けていた。信号もなく、対向車もほとんどないような刺激の少ない道路では、眠気が起こりやすい。こういうときは「高速道路催眠現象」(ハイウェイ・ヒプノシス)と呼ばれる現象に陥る場合がある。

これに陥ると、なかば寝ぼけて夢を見ているような状態になるため、何も危険がないような道でも事故を起こす原因となってしまう。

幸い、ヒル夫妻の場合は事故を起こすことはなかったものの、高速道路催眠現象に陥っていれば寝ぼけて星を宇宙船だと勘違いし、なかばパニック状態で語り合っているうちに記憶がすりあわされていった可能性も指摘されている。(二人は当夜、眠気に襲われたことを認めている)

スターマップ

最後は、ヒル夫妻事件において決定的証拠として取り上げられる「スターマップ」。これは近年、研究が進み、現在ではフィッシュが作成した星図は成り立たないことが指摘されている。

オーストラリア、メルボルン大学のブレット・ホルマンによれば、フィッシュがスターマップを作成するために使った恒星のデータは約40年近くも前のもので古く、最新のデータを使うと恒星の距離などが異なってくるという。

フィッシュのスターマップ

フィッシュのスターマップ。(ムー特別編集『世界UFO大百科』学研)より

たとえば、上に示したスターマップで13番の「Kappa Fornacis」は、古いデータでは42.4光年だったが、最新のデータは71.5光年になっている。また15番の「Gliese 86.1」に至っては、52.4光年だった距離が184光年になってしまった。実に3倍以上の違いだ。

スターマップの1番と2番にあたる「ゼータ・レチクル」という星は、このスターマップによって一躍UFOファンの間で有名になった。これ以降、地球を訪れたという宇宙人の母星としてゼータ・レクチルがあげられる例が増えている。

他の星も数光年単位で違っているものがいくつもあり、もはやフィッシュのスターマップは、ベティのスターマップの再現にならなくなっている。

以上のように、最大の証拠とされたものも崩れてしまった現在、ヒル夫妻誘拐事件を宇宙人による誘拐事件と考えることは難しい。

【参考資料】

  • ジョン・G・フラー『ヒル夫妻の“中断された旅” 宇宙誘拐』(角川書店、1982年)
  • ムー特別編集『世界UFO大百科』(学研)
  • 高倉克祐『世界はこうしてだまされた』(悠飛社)
  • カーティス・ピーブルズ『人類はなぜUFOと遭遇するのか』(文藝春秋)
  • Robert Sheaffer「Over the Hill on UFO Abductions」『Skeptical Inquirer』(Vol.31, No.6, November/December 2007)
  • Robert Sheaffer「Dr. Simon Reveals his Real Thoughts on the Hill “UFO Abduction” Case」(http://badufos.blogspot.jp/2015/12/dr-simon-reveals-his-real-thoughts-on.html)
  • Robert Sheaffer「The Pseudo-Science of Anti-Anti-Ufology」(http://badufos.blogspot.jp/2012/10/the-pseudo-science-of-anti-anti-ufology.html)
  • Yankee Skeptic「Marjorie Fish, Star Map Model Maker, RIP」(http://yankeeskeptic.com/2013/07/08/marjorie-fish-star-map-model-maker-rip/)
  • Brett Holman「Goodbye, Zeta Reticuli」『Fortean Times』(November 2008)
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